2016年07月23日

坩堝・9







「馬鹿ッ……、ふざけた事、言うんじゃない!」


妹の言葉にイツキは激高し、思わず怒鳴りつける。
さすがに妹も驚き、目を丸くし、言葉を無くす。


「解ってて、…良くないって解ってて、…お金のためにそんな事しようとするなんて、大馬鹿だよ!
一度でも、そんなトコに行ったら、もう、戻れないんだよ!?」

「でも…、お兄ちゃんも……」

「………そうだよ……」


イツキは振り絞るように声を出し、それでも、もう、息もすることも出来なくなってしまったのか、止まってしまう。
見開いたままの目からは、涙が零れるのだが、妹にはその意味は解らない。




「……俺は、もう、戻れないトコ、来てる。……由紀は、駄目だよ。もっと、自分、大切にしな……。

お金、足りないなら、俺が何とかするから。…由紀は心配しなくていい」



イツキは手の甲で涙をぬぐい、少し落ち着いたのか静かな声で、そう言う。
妹はイツキの様子に圧倒されてしまったようで、こくんと頭を縦に振って、もうそれきり、何も言う事はなかった。



「おやすみ」を言い、イツキは寝室の扉をぱたりと閉じて、一人でベッドに潜り込む。
何故だか涙が止めどなく流れてしまい、声が漏れないようにと、枕に顔を埋めるのだった。





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2016年07月24日

坩堝・10







その晩イツキは、妹の事をあれやこれやと考えてしまい、なかなか寝付く事が出来ず、
ようやくうとうとし始めたのが、明け方。
少し、眠り、目を覚ますと…、すでに昼に近い時間で、

寝室を出ると、そこに、妹の姿は無かった。


『心配かけてごめんなさい。帰ります。由紀』


テーブルの上には、そんなメモ書きが残されていた。
イツキは安心するやら気が抜けるやら…、それでもどこか、胸の奥にザラザラと嫌な気持ちが残って、どうにも落ち着くことが出来なかった。




少し迷ってから、母親に電話を掛けてみる。
電話を受ける前に、画面に自分の名前が出るのだろが、電話に出た母親の声は、酷く驚いた様子の声だった。


『………一樹なの?………どうしたの、急に…』
「え?……由紀が。……駄目だよ、俺の所、来させちゃ…。もう帰ったけど…」
『あなたの所に行っていたの?……あの子ったら!』



イツキの所に来るのに、母親の了承を得ていたというのは、嘘だった。


……冷静に考えれば、……ふしだらな生活を送っているイツキの元に、事前の連絡も無しに、妹を寄越すはずもない。
胸の奥の嫌な気持ちが、低い音を立てて広がっていく。
母親に聞かなければ、妹が、この家の住所を知っていた理由が解らない。


『…少し、喧嘩をして…。少し…、経済的に苦しくて…、由紀には不自由な思いをさせてしまったんだけど。……少し、難しい年ごろで……』

「………由紀に、………俺の事、話した?」

『え?………いいえ』

「どうして、由紀、俺の住所、知っていたの?」

『…え?……そう言えば…、そうね…』






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2016年07月25日

坩堝・11







イツキは急ぎ、着替えて、外に飛び出す。
駅には向かわず、通一本向こうの幹線道路に行き、タクシーを拾う。
行き先は、黒川の事務所だった




妹は、知らないはずの、イツキの部屋の住所を知っていた。
母親は、自分の引き出しの奥にある手帳にだけ、イツキの住所を記してあったと言う。
住所と、電話番号。そして、…何かあった時のためにと…、黒川の事務所の住所と電話番号。


妹がイツキの住所を知っていたという事は、同時に、黒川の事務所の住所も知ったという事だ。


夕べ、あれだけ諭したのだから、よもや黒川に会いにいくなどという愚行はしない…とは、思うのだけど…
確実に、そうだと、言い切る自信は無い。むしろ、何も告げずに家を出てしまった時点で、酷く危うい。
ケータイを持たない妹は、今どこにいるのか。連絡を取りたくても、取りようもなく。
とにかく、事務所に行き、…妹が立ち寄っていない事を確認し、安心したかった。



タクシーの中で、一応、黒川に電話を掛けてみるも

案の定、あの男は、肝心な時に、連絡が取れない。




事務所の前にタクシーを止め、イツキは釣銭を受け取るのも忘れ、勢い外に飛び出す。
階段を掛け上がり、事務所の扉のノブを掴み、ガチャガチャを派手に回す。

けれど、扉は施錠されていて、開かず。

中の電気も消えているようで、人がいる気配は感じられなかった。



posted by 白黒ぼたん at 23:13 | TrackBack(0) | 日記

2016年07月26日

坩堝・12







「…そう、だよね。…そんな訳、ないよね…。はは…」



ようやくイツキは安心したように、そう独りごちて、笑う。

こんな場所に、普通の女子中学生が来ようなどと、思うはずがないのだ。
事務所の階段を下りながら、…身体を貫かれた痛みと悔しさに…、この階段で座って泣くのは、自分だけで十分なのだと、思った。




こちらまで来たついでに、黒川との部屋の片付けでもしようかと、足を向ける。
途中、足りないものを補充しようと、コンビニに立ち寄る。
カゴを手に取り、店内をウロウロしていると、イートインコーナーに見慣れた金髪頭が座っていて、思わず駆け寄る。


「佐野っち」
「…お?…おう、イツキ!」


佐野はコーヒーを片手にスポーツ新聞を眺めていた。
聞けば、近場のパチンコ屋に詰めているらしく、今は休憩中なのだそうだ。
かなり、調子が良いらしく、機嫌が良い。
どれだけ当たりを引いたか、箱を積み上げたか、この後は焼肉屋で豪遊予定だと、笑顔で話し…


…ふと、
何かを思い出したように、言葉を止める。
急に神妙な面持ちになる佐野に、イツキは、不安を覚える。
それはほぼほぼ、感じたままの、不安だった。


「……佐野っち?、……どうかした…?」
「うん?…、いや、…そっか。……どっかで見た顔だと思ったんだけど…、そっか…」

佐野は一人で合点が行ったという風に、何度か頷く。




「…さっき、社長んトコの前に女の子がいて…、どっかで見たなーと思ったんだけど…
あれ、お前の、妹か?……葬式ん時、会った、……由紀とかいう子」




posted by 白黒ぼたん at 23:58 | TrackBack(0) | 日記

2016年07月27日

坩堝・13







「……それ、……いつ…?」
「うん?…パチンコ屋行く前だから…、2時間くらい前か…?」
「……それで?……どうなったの…?」
「社長の車が停まって、一緒に乗って行ったけど…、ん?……お前、知らない話?」


佐野は、目の前のイツキが急に青ざめ、今にも倒れそうになってしまい…何事が起っているのかと、心配する。
……心配しながらも、実は「休憩中」にして来た自分のパチンコ台の事も、気になり始めていた。


「マサヤが来たの?それで?……由紀、連れて、行っちゃったの?どこに?」
「いや、解らなねぇよ。見掛けたのだって、通りの向こうからチラっとだし…。…電話してみれば?」
「繋がんないよ、マサヤは!」


イツキは声を荒げ、手に持っていた買い物カゴを佐野の前に放り投げて、急ぎ、コンビニを出て行く。
もしかして、何か、よからぬ事でも考えていて、あえて電話に出ないのではない…などと、そんな思いもチラリと頭をよぎる。

佐野は、イツキの権幕に驚き、とりあえず自分も広げていた新聞とケータイを片付け、立ち上がる。
その拍子に飲みかけのコーヒーを零し、ズボンを少々濡らし、クソと、悪態をつく。



イツキを追って佐野が表に出ると
イツキは思いつめた表情で、ケータイを耳に当てていた。

長く、呼び出されていたそれは、ようやく繋がったようで
イツキは弾かれたように顔をあげ、声を張り上げる。



「…もしもし、もしもし、…一ノ宮さん?……マサヤは?…どこ!?」



posted by 白黒ぼたん at 22:39 | TrackBack(0) | 日記

2016年07月29日

坩堝・14






『……イツキくん?……どうかしましたか?』
「マサヤは?…連絡、取りたいんだけど…、どこ?」
『今日は横浜で用事があると伺いましたが。…何か、緊急ですか?』
「……妹が、連れて行かれちゃったかも知れない…。…横浜って…、どこ?…場所は?住所は?」


ようやく電話が繋がった一ノ宮に、イツキは矢継ぎ早に質問をする。
そうこうしている内に、妹に何か…、悪い事が起きてしまうかと思うと、気が気ではない。
まだ事の次第が飲み込めていない一ノ宮に、とりあえず、横浜の事務所だと言う住所を聞き出し、電話を切り、

駆け出し、広い道路に向かい、タクシーを止めるために手を上げる。



「……え?…イツキ、…どこ行くんだよ?」



車はすぐに停まり、イツキが乗り込もうと屈めたところに、慌ててイツキを追いかけて来た佐野が声を掛ける。
イツキは振り返り、佐野に……、半分、助けてもらいたい気持ちもあったのだろう…、「佐野っちも、乗る?」と言うのだけど


佐野は一瞬躊躇し「……あ、俺、パチンコ台が……」と呟いてしまう。


イツキは、それ以上は何も言わず、視線を前に戻し、運転手に行き先を告げる。
そしてドアは閉まり、タクシーは、佐野の前から走り去ってしまった。




残念な事が、二つほど、あった。




posted by 白黒ぼたん at 23:00 | TrackBack(0) | 日記

2016年07月30日

坩堝・15







残念な事が、二つほど。




一つは、
イツキはすっかり黒川が、妹を連れて行ってしまったと思っていたのだが、
実は、それは、誤解だった。

社長の車を見たと言った佐野の言葉は嘘では無かったのだが、車を運転していたのは、黒川ではなく、リーだったのだ。


この日、リーは、普段黒川が乗り回している車を使っていた。それは、そう珍しい事ではないらしい。
横浜での仕事を手伝うという女の子を回収しようと事務所の前まで行ったのだが、手違いで、妹を車に乗せてしまったのだった。


黒川はと言えば、急に他の予定が入り、一ノ宮には連絡をせずに、池袋の叔父貴の所に行っていた。
別に、悪意はない。
イツキのトラブルを知るのは、もう少し、後の話。



そして、もう一つは

イツキのケータイの電池が、タクシーの中で切れてしまった事だった。
予備のバッテリーを持ち歩くなど、するはずもなく。
財布の中に数枚の一万円札が入っていたのは、不幸中の幸いだったのだけど

その程度の幸運は、この先のイツキに、微塵にも役立たない。




一時間少々の移動の車内を、イツキは、祈る気持ちでやり過ごす。
たまにえずき、吐きそうになるのは、車に酔ったからではもちろん無かった。




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