2018年12月01日
ぐうの音
「……笑い過ぎだ、一ノ宮」
夜。ようやく一ノ宮は、黒川の不機嫌の理由を聞き出す。
どんな重大な理由かと身構えていたのだが、笑い過ぎて、飲みかけの日本酒でむせ返すところだった。
「…いや、……失礼。……しかし…」
「…ゼニアだぞ?…あの、馬鹿。……何でも一緒くたに洗いやがって」
「今はイツキくんが全部、…身の回りの事を?……洗濯や、食事や…」
「…出来れば苦労はしないがな。……まったく」
黒川はぼやき、グラスを口につけながらため息を漏らす。
駄目にしてしまったシャツはハイブランドのもので、特に、気に入っていたらしい。
「……それは、お気の毒です…」
「だろう?」
「あなたじゃないですよ、…イツキくんがです」
「…は?」
ようやく笑いが収まった一ノ宮は、黒川のグラスに酒を注ぎ、そう言う。
意外と、真面目な顔。悪さを諭す親のようで、黒川の方が少し、たじろぐ。
「イツキくん、よくやっていますよ。『仕事』だって嫌がらずに行く。その上、あなたの世話までじゃあ、大変だ。
お母さんでも、お手伝いさんでも無いのでしょう?
もう少し、感謝した方がいい」
そんな一ノ宮の言葉に、黒川はぐうの音も出ないのだった。
夜中。
部屋に戻ると、イツキはすでにベッドで眠っていた。
リビングのテーブルには、
シャツの同じブランドの、……小さな紙袋が置いてあった。
2018年12月02日
小さな紙袋
「……悪かったな…って思ったんだよ。だから、同じの、買おうかなって思って。
エルなんとか…ゼグ…なんとかって言うの?……全然知らないブランドじゃん!
何それーって思って…、大きい百貨店、3っつも回っちゃったよ。
でさ、ワイシャツなんて、高くても一万円ぐらいかなって思って…、それぐらいしか持って行かなかったんだけど……」
朝。リビングでコーヒーを飲んでいたイツキに、黒川が尋ねる。
シャツが入るにしては小さすぎる紙袋。イツキは照れ臭そうに笑う。
「…超、びっくりした。桁一つ違うじゃん!マサヤって、いつもあんなの着てるの?」
「………いや。……まあ、あれは、たまたま……」
「…ふふ。…俺、お店でキョロキョロしちゃった…。……結局、ワイシャツは無理でさ…
一番安いの、どれですかって…聞いて…、……お店の人に笑われちゃった」
そう言って笑う。笑いながら、自分で、小さな包みを開ける。
中には、一足の、靴下が入っていた。
「……ごめんなさい。とりあえず…、……これ…」
黒川は
一ノ宮に諭された事を、一応、気にしていた。
たかだがシャツを駄目にしたぐらいで、怒り過ぎたと、…思っていた。
「悪かったな」と一言、言っても良かったのだけど、先にイツキが謝ってしまい、機会を失う。
「……あ、ああ」
「パンツもあったんだけど…。パンツ一枚買うのもねー、ふふふ…」
「……今度、一緒に行くか。……お前も何か、買えばいい…」
「ええ、いらないよ!一万円のパンツなんて!」
テーブルの上の紙袋を取り、中身を覗き、馬鹿にした様子で鼻を鳴らしていた黒川は
イツキの言葉に、大いに笑った。
2018年12月03日
感傷・1
「…温泉でも行くか。…たまには草津の方でも…。
今週末、…土日…、金曜日からでもいいな……」
ここ暫くの償いか労いか、もしくは単純に自分が行きたいだけなのか
ふいに黒川がそんな提案をする。
朝、リビングでフルーツ入りのヨーグルトを食べていたイツキはスプーンを口に咥えながら、少し、考える。
「……行かない」
「うん?…熱海にするか?」
「週末は駄目。……俺、……卒業式だよ」
イツキの返事に、黒川は一瞬、驚いた顔を見せる。
…言われるまで、イツキがまだ高校生だったという事を、忘れていたようだ。
もっとも、さして興味も無いようで、ふん、と鼻を鳴らす。
「来る?マサヤ。卒業式」
「行くかよ」
「……だよね。…ふふ」
イツキは笑って、腰を上げ、食べていたヨーグルトの容器を片付ける。
「…じゃ。俺、学校、行ってくるね」
「………ああ」
そう言って、部屋を出て行くのだった。
思いがけず、感傷に浸るのは
黒川の方だったかも知れない。
2018年12月06日
感傷・2
黒川は、子供を抱くのが趣味だった訳ではない。
最初、イツキに手を出したのは、仕事で面倒ばかりを起こすイツキの父親への、ちょっとした嫌がらせ程度だった。
まだ「男」になる前の少年。美人の母親似で、売り物にしても十分な容姿。
適当な言葉で騙し、ベッドに押し倒すのは酷く簡単で、初めての行為に泣き叫ぶ様子は意外と…、…好みだった。
何度目かに会った時は、中学の制服を着ていた。
詰襟ではなく、ブレザーで。否が応でも真面目に見える姿に、余計にそそられた。
ブレザーを剥いで、ワイシャツのボタンを飛ばす。…ああ、最初の頃は下着に丸首のシャツを着ていたと、変な事を思い出す。
何もかもが野暮ったくて、そのくせ裸になると、今までに抱いたどの男よりも女よりも反応が良かった。
「……5年、…6年になるのか……?」
イツキが出掛けた後、黒川はキッチンで自分のコーヒーを淹れる。
飲み、一息つき、イツキと一緒にいる年月を数える。
イロイロあったと、そんな簡単な言葉では言い尽くせない程、色々な事があったのだが
今は案外、穏やかに暮らしている。それが自分でも不思議でならない。
手元のマグカップに目を落とす。
流しには、同じデザインの、イツキのカップが置かれていた。
2018年12月08日
感傷・3
仕立てたばかりの黒いスーツを着たイツキは、下を向き、肩を震わせ
壁際に身を寄せ、さらにさらに、小さく見えた。
「来い」
と言っても、身を固くするのみ。
腕を掴んで、小突くように押すと、ようやくゆっくり歩き始める。
それでも、部屋の前まで来ると、また止まってしまう。
借金のカタに俺と契約を結び、初めて、俺以外の男に抱かれる日。
…頭では納得していても、身体がいう事を聞かないらしい。
首を横に振って、涙を一粒、零す。
「……………や………」
蚊の鳴くような、小さな声。
「……お前が決めた事だろう」
「………でも……」
「四の五の言うな」
客の待つ部屋の扉をノックする。開いた隙間にイツキの身体を押し込める。
扉が閉まった後、中から、酷く騒ぐ物音が聞こえたが、知った事ではない。
互いの苦渋を飲み干すまで
この契約は続く。
2018年12月09日
感傷・4
暫くするとイツキは、この異常な日常に慣れたのか…諦めたのか
まあまあ普通の顔をして、黒川の所に来るようになった。
中学校の制服を着たまま、事務所に来て、隅の物陰で黒いスーツに着替え、迎えの車に乗って出掛けて行った。
大人しく言う事を聞くのは、勿論、良い事だが
あまりリアクションが無いのは、……面白みに欠けた。
それでも、真夜中過ぎに帰って来た時は、濡れた髪、乱れた着衣、青白い顔。
泣き腫らした目をし、奥歯をカタカタ鳴らしながら、事務所のソファに座る。
生憎、部屋には黒川一人。嘘でも優しい言葉を掛けてくれる一ノ宮はいなかった。
黒川はイツキを一瞥する。
「…お疲れさん。……ジジイはどうだ?張り切っていたか?……ふふ」
「…………」
イツキは返事も無く。…つい、数時間前の行為を思い出したのか嗚咽を飲み込む。
黒川はイツキの目の前に立ち、肩を震わせるイツキを、見下ろす。
男に汚され泣く姿は、欲を掻き立てられる。酷くいやらしく、色気を垂れ流す。
黒川はイツキの髪の毛を掴み、顔を上げさせると
自分のズボンのファスナーを下し、中の塊を、イツキの口中に押し込んだ。
2018年12月12日
感傷・5
真夜中。
黒川が自分の部屋に戻ると、そこにはすでにイツキがいた。
当時のイツキは一応、親元で生活をしていたが
さすがに『仕事』の後など、まともに家に帰れない時もある。
黒川の部屋の鍵を渡されていたイツキは、自由に出入りを許されていた。
イツキは風呂場から出て来たところで、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら、リビングに戻る。
チラリと黒川を横目で見遣って、小さな声で「……おかえりなさい」と言う。
今日も、他の男に抱かれに行っていた。すこぶる具合が良かったと、先方から連絡があったところだった。
黒川は冷蔵庫から缶ビールを取る。
その場で缶を開け、一口飲む。……流しには空き缶が2,3本転がっていた。イツキが飲んだのだろう。
いつ、酒を覚えたのかは定かではない。
黒川が付き合わせた事もあったし、『仕事』中、無理やり、飲まされた事もあっただろう。
美味しいかどうかは別にしても、喉の渇きを癒し、嫌な事を忘れさせるには丁度良かった。
「………おれ、今日、……ここで、寝る……」
「…ああ」
たどたどしい口調は、酒と眠気のせいだろうか。
他にも何か言いたげに、黒川を見つめていたのだけど、……もう、どうでもいいやと言う風に小さく溜息を付いて、寝室に入って行った。
黒川はリビングのソファに座り、飲みかけのビールを煽る。
部屋にはイツキの脱ぎ捨てた服が、点々と、散らかっていた。
しばらくして黒川が寝室に入ると、イツキはベッドの端に身を丸くし、背中を向けていた。
黒川は毛布を捲り、その隣に入り、
イツキの小さく震える肩に、腕を、回した。
感傷・6
一緒に過ごす時間が長すぎるからと言って、慣れ合うつもりは無かった。……恋人でもあるまいし。
ただ、一緒に食事をし、リビングでくつろぎ、擦り切れるほど身体を合わせ、寝顔も、寝起きの顔も見ていれば、
情が沸かない、という方が無理な話だろう。
泣き顔より、穏やかな笑顔をよく見かけるようになったのは、いつからだったか。
最初、武松寿司の厚焼き玉子を食べさせた時のことは、なんとなく覚えている。
マンションからそう遠くない場所にある、馴染みの寿司屋。
西崎あたりと飲みに行き、帰りに、折り詰めを持たされた。
部屋に帰ると、すっかり居着いたイツキが、ソファに寝転びテレビを見ていた。
折り詰めをテーブルに置き、「…土産だ。食っていいぞ」と言うと
単純な笑顔を浮かべ、いそいそ、緑茶などを淹れてくる。
「……すごい。美味しい。……俺、お寿司、好き…」
「ふん。……そんなの、どこにでもあるモンだろう」
「ええ?そう?……あ、この玉子焼き、すごい美味しい。……甘くて…、しっとりしてて…。……美味しい…」
無邪気に喜び、玉子焼きを頬張る姿が、可笑しくて、……つい、こちらの気も緩む。
「……そんなに美味いなら、今度、店に連れて行ってやる」
そう言うとイツキは、ぱっと目を見開いてニコリと笑い、こくんと頷いた。
黒川、トゥンク!
2018年12月15日
感傷・最終話
…つい呆けて、感傷に浸ってしまった…。
そんなガラでは無いだろうと、黒川は自分で自分を笑い
事務所へと向かう準備をする。
電話が鳴る。
相手はイツキだった。
「……なんだよ?」
『あのね、俺ね、今日の学校、お昼でお終いなんだけど…、ご飯、食べに行きたいな。
…結局、焼肉屋さん、行けなかったじゃん』
「……昼間っからか?……俺はそんなに暇じゃないぞ?」
必要以上に不愛想に返事をしてみるのは、今しがたまでイツキの事を考えていた、照れ隠しなのか。
……昔に比べ、最近は甘やかし過ぎだ……。少し、距離を取った方が良いのではないかと、……チラリと、思う。けれど…
『………駄目?』
「……15時くらいに事務所に来い。……制服は着替えて来いよ」
『はぁい』
けれど、まあ、それは次の機会に。
黒川は電話を切って、ふふ、と鼻で笑うのだった。
ああ、やっぱりベタ惚れの話に・笑
2018年12月16日
小話「揉め事」
西崎が事務所の扉を開ける前から、中から、言い争う声が聞こえていた。
何か揉め事か喧嘩かと、恐る恐る扉を開けると、丁度、外に出ようとしていたイツキとぶつかった。
「………マサヤの、馬鹿!」
イツキは黒川にそう叫び、キッと強い目で西崎を見上げ、一応、ぺこりと頭を下げて擦れ違う。
後ろ手でバタリと扉を閉め、階段を、バタバタと駆け降りる音が聞こえた。
「……社長。……書類です」
「………ああ。ご苦労さん」
西崎は何事かと、黒川と一ノ宮の顔を見遣る・
黒川は面倒臭そうに大きなため息を付き、西崎の書類を受け取る。
「……イツキ、ですか?……また何か問題でも?」
「………いや」
「……『仕事』にゴネたとか、…他に男を作ったとか…?。…まったく、社長は、イツキに甘過ぎですぜ?」
「………ああ。………そうだな」
黒川はそれ以上は何も言わず、一ノ宮も俯いたまま視線を逸らす。
用事を済ませた西崎は仕方なく、そのまま、一礼して事務所を後にするのだった。
「…………笑い過ぎだ。……一ノ宮」
暫くしてから、黒川が一ノ宮に声を掛ける。
俯いて、顔を見せないようにしていた一ノ宮は静かに肩を震わせ、笑いを堪えていた。
「失礼。……ふふ。……さすがに…、……まさか揉め事の理由が、
『部屋に、こたつを置いていいか』
などとは…、ふふ、……話せませんよねぇ…、ふふ……」
「………ふん」
まだ笑いが止まらない一ノ宮を尻目に、黒川は、鼻息を鳴らすのだった。
2018年12月18日
昇降口で
梶原は昇降口でイツキを見掛けた。
今、帰る所なのだろうか、寒そうにコートの襟を合わせ、ふと、空を見上げていた。
「……イツキ」
「あ。梶原」
「…どうした?」
イツキは少し首を傾げる様にして、小さな笑みを浮かべる。
「……雪かな、って思ったら、違った」
「はは。……でも、降りそうなぐらい、寒いな」
「………ん」
それだけの仕草なのに、梶原は何だか胸が締め付けられそうになる。
卒業式は、もう、明日。
イツキと自分は、ただの友達以上。踏み込んだ間柄だったと思うけれど…、かと言って、何かがあった訳でもなくて……
何か、あってしまえば良かったと…、今更ながら、少し、思う。
歩き出したイツキの横顔を、梶原はチラリと、見る。
鼻の頭が赤くなり、吐く息も白い。
かじかんだ手を握り、一緒に、自分のポケットに入れてしまえと
……心で響く声が、もう少し大きければ、何かが変わったのかも知れない。
「……俺ね、学校、…楽しかった。……梶原がいて」
そう呟くイツキに、梶原は泣きたいのを我慢して「…ああ」と言うだけだった。
2018年12月20日
一波乱・1
夜は部屋にイツキ一人だった。
黒川は仕事らしい。
イツキはきちんと夕食を取り、酒も控え、明日最後になる制服にアイロンを掛け
寝室に入った。
別に、特別な事は、何も無いと思うのだけど
それでも少し、落ち着かない感じがして、眠りにつくまで時間が掛かった。
真夜中を過ぎたあたり、物音で目が覚める。
傍らのケータイを見ると、直前に、黒川からの着信があったようだ。
イツキはベッドから起き上がり、半分寝ぼけた頭で、どうしたものかと様子を伺う。
ふいに来客を告げるベルが鳴る。こんな真夜中に、何度も、鳴る。
……ああ。黒川が鍵を忘れたのかも知れない…、と、イツキはリビングのインターホンの前に行く。
モニターに映っていたのは、
血だらけの黒川と、それを支える様に抱く、見知らぬ男だった。
2018年12月21日
一波乱・2
部屋着にコートを羽織り、イツキは慌ててエントランスに降りる。
ホールの壁に寄りかかる様に黒川と、隣に、30代ぐらいの男。
……短髪にこざっぱりとした口髭。…どこかの店員なのだろうか、腰にギャルソンエプロンを巻いていた。
「………マサヤ、…………」
イツキは傍に寄り、言葉を詰まらせる。
黒川は頭から血を流し、顔にいくつも筋を作っていた。
白いワイシャツの胸元も、血でべったりだ。
「………どう…したの……?」
「……大丈夫だ…」
「大丈夫じゃないわよ!頭、ぱっくり切れてるわよ、黒さん。…やっぱ、病院、行こう?ね?」
男の、思いのほか甲高い声に、イツキは少し驚く。
「……大丈夫だ。騒ぐなよ、タケル。……ああ、世話になったな」
「…こんな、…お子ちゃまの所で、どうすんのよ?……手当しようか? あたし……」
「…いや、いい。……じゃあな」
黒川にしては弱々しく手を振り、その手を、イツキに向ける。
イツキは訳が解らないまま、その手を取り、タケルと呼ばれていた男にとりあえず頭を下げると
黒川に寄り添いながら、一緒に部屋に戻るのだった。
2018年12月23日
一波乱・3
「……店を出た途端、急に殴られてな…、ああ、でも、大した傷じゃない…」
「…でも、血が…、……シャツも…」
「…クソ、跳ねたか…。……これは、向こうのだろうよ。とりあえず、やられた倍はやり返したからな…」
何かしら、黒川に恨みを持っていた相手らしい。
こめかみのあたり、角材のようなもので殴られた裂傷は、黒川の言う通り、そう大きなものでも無かったが…、酒の飲み過ぎも手伝ってか、出血が止まらなかった。
イツキは棚から救急箱を取り、処置に必要な物を探す。
カーゼ、消毒薬、テープ…、ガサガサと探すも、手が震えるのか、ぽとりと床に落としたりする。
「…先に、…風呂だ。血でベタベタする…」
「ええっ。……いいの?……そんなの…」
「流して、絆創膏でも貼れば、済む」
「……すまないよ……」
おろおろするばかりのイツキを尻目に、黒川は風呂場に向かってしまう。
イツキは慌てて追いかけ、黒川が服を脱ぐのを手伝い、一緒に中に入り、血と汚れを洗い流す。
当然、染みるのだろう。黒川は顔を顰め、小さく悪態を付く。
それでもどうにか傷口を綺麗にし、タオルできつく抑えながら、風呂場を出る。
イツキは黒川にガウンを羽織らせ、その時になって初めて
自分が、服を脱ぐの、忘れていた事に気付いた。
2018年12月24日
一波乱・4
傷口は、絆創膏では足りなかったが、何枚か重ねて貼り
さらに上からガーゼで押さえ、しばらく時間を置き、血が滲んだら取り換え…
…それを何度か繰り返して、ようやく、落ち着いたようだった。
「……とりあえず、血、止まったけど…、明日、ちゃんと、病院行きなよ?」
「………ふん」
バツが悪そうに鼻を鳴らす黒川に、イツキは呆れたという風に溜息をつき、散らかった救急箱を片付ける。
血のついたタオルやティッシュ。フローリングの汚れは、水拭きしないと駄目だろうかと思う。
「……あの、ヤブ医者。…もう、片足、棺桶に入っているからな…。病院も開いているかどうか…。
こんな時に限って一ノ宮は地方だし…、……まったく……」
言い訳がましく愚痴る黒川。
イツキはキッチンで手を洗い、熱い茶を淹れ、リビングに持って行く。
時計は午前3時。揃いの湯飲みをテーブルに置き、イツキはもう一度、黒川の傷口を見る。
「……で。何、やってたの?マサヤ。……仕事って言ってたのに…」
「………ガーゼ、剥がすなよ。……そのまま、付けておけ……」
「…あの人、誰?……タケルさんって、……そっちの人?」
「……緑茶、か?………熱すぎだろう、……もう少し………」
のらりくらりとくだを巻く黒川にイツキは唇を尖らせ、
…黒川の傷口をガーゼの上から、軽く、ぺしりと叩いた。