2019年04月03日
イツキ・1
早朝。
まだ寝ている林田を起こさないようにイツキは布団から抜け出し、とりあえず服を着て、部屋を出る。
うろ覚えの道を辿り、大きな通りに出て、そこでタクシーを捕まえ、自分のアパートに帰る。
まず、風呂。
小さなユニットバスの湯船に膝を抱えて入る。
頭から熱いシャワーを浴び、あちこちを泡だらけにし、全て洗い流した。
「………あー…。………やっちゃったなぁ……」
溜息とともに独り言がこぼれる。
うっかり、林田と、身体を交えてしまった。
勿論、するつもりは毛頭無かったのだけど…、……黒川と離れて一か月と少し。
……その間、自分で自分を慰めることはあっても、それで満足できるはずも無く……、そんな時に目の前に、酒と男を置かれては……
我慢しろというのは、無理な話。
風呂から上がり、新しい下着を身に着け、台所で水を一杯飲む。
後悔はあるものの、どこかスッキリとした気分なのは、ある程度、性欲を発散できた為か。
この先の生活や、黒川の事や……、あれこれ思い悩んでいた事が少し軽くなる。
自分でも単純だとは思うが、カラダは正直だった。
「………ま。……しちゃったものは仕方ないか…。……はは。………なんとか、なるかな……」
飲み終えた水のグラスを流しに置いて、もう一眠りしようと、布団の部屋に向かった。
2019年04月04日
イツキ・2
「…元気?……ちゃんと、ご飯、食べてる?」
『……………ああ』
夜。
「こじれる前にサクっと連絡を入れる」という林田のアドバイス通り、まるで2,3日前にも会っていたぐらいの気軽さで、イツキは黒川に電話をする。
拍子抜けしたのは黒川の方だった。
『…何だ?………勝手にやって行くんじゃなかったのか?』
「まあね。……まあまあ、やってるよ。ふふ。……あのさ、マサヤに頼みがあるんだけど」
『…何だよ』
「俺の服、ちょっと送って欲しいんだ。クローゼットの…適当に…。少しは買ったりしたんだけど、やっぱり着慣れた服の方が良くって…。住所は一ノ宮さんが知ってるから。あ、あと、洗面所のブラシ…、豚毛の……」
イツキの頼み事に、黒川はふんと、鼻で返事をする。
本当は、もう帰りたい…だの、会いたいだの、……そんな言葉を待っていた、……訳ではないと必死に自分に言い訳しているのかも知れない。
『……それだけか?』
「………んー……。あと、あれ…食べたい。……塩豆大福」
『そんなもの、どこにだって売ってるだろう』
「違うよ。…事務所の近くの和菓子屋さんのだよ。……俺、あれ、好き……」
以前の暮らしを思い出し、少し切なくなったのか、イツキの声が小さくなる。
「……生ものだから無理かな。……硬くなっちゃうかな…。無理なら、いいや。……ふふ。
……じゃあね、またね」
このままでは泣き出してしまう、と、最後は明るく振る舞って
イツキは電話を切るのだった。
2019年04月05日
イツキ・3
「あ、林田さん。おはようございまぁす。なんか、久しぶりじゃないですかー?」
ミカの声でイツキも顔を上げる。入り口では林田が、どこか落ち着かない様子で立っていた。
先週末、林田とうっかり関係を持ってから、会うのはこれが初めてだった。
「……はよ。ミカちゃん。……イツキくん。………えーと、……社長は?」
「いませんよー。小森さんと外回りです」
「あ。そうなんだ。……えーと…、じゃあ……」
「待っててくださいよ、すぐ戻ると思います。…お茶、入れますね」
そう言ってミカは席を立ち、部屋の奥の給湯室へ向かう。
本当は帰ってしまおうかと思った林田は苦笑いを浮かべ、意味も無く頭の後ろなどを掻き、咳払いなどをする。
「………林田さん」
「……んっ?」
イツキに呼ばれ、林田は裏返った声で返事をする。イツキは小さく笑う。
「………俺、この間は…、酔っぱらっちゃって……、変な感じになっちゃって…、ごめんなさい」
「あ、…ああ。いや、俺も、ごめん。……なんか…、あの、…その…」
「………無かったコトに、………します?」
「…あ、………うん……」
「え?ナニナニ? 何の話ですかー? ……はい、しあわせ堂のシュークリームですよー」
絶妙のタイミングでミカがお茶を持って戻り、イツキはシュークリームに釘付けになってしまう。
林田は、……本当は「無かった事」にしたかったのか、したくなかったのか……、自分でも、良く解らないでいた。
2019年04月06日
イツキ・4
林田はともかく、
イツキにとって、あの一夜のことは、大した問題では無かった。
酒に酔った上でのコトだし、…恋愛対象という訳でもない。
そもそも、まっとうな倫理観など持ち合わせていない。
仕事の帰り。スーパーマーケットの閉店時間にギリギリ間に合い、値引きの総菜をいくつか買う。
向こうに見える大きな建物が、ミカが今度一緒に行こうと誘った日帰り温泉施設なのかな…と、イツキはのんびり歩きながら思う。
街は駅前こそ栄えているが、通りを抜けると寂しいもので、街灯の明かりもまばらだ。
夜の住宅街は静かで、時折どこかの家から、子供の笑い声が聞こえてくる。
「……なんか、俺。……普通の人みたい……」
アパートに戻り、台所に立ち、買って来た総菜を温め直す。
朝、タイマーをセットしていた炊飯器が、湯気を立てる。
テレビの前のテーブルに食事を運ぶ。ここには今度、小さなソファを置こうと思う。
もしかして、部屋全体を自分の好きにしてもいいのかと思うと…、少し、楽しみだった。
「……ソファって…どこに売ってるんだろう。……それも、マサヤに送って貰おうかな…。……棚も、ベッドも。……もう、本気で引っ越す……、……ふふ」
あれこれ一人、つぶやきながら、部屋の模様替えを考える。そんな折、玄関のチャイムが鳴る。
……黒川に頼んでいた荷物がもう届いたのかと、イツキは立ち上がる。
「………あ」
ドアを開けた先に立っていたのは、宅配便の業者では無かった。
2019年04月07日
イツキ・5
「新しく越して来た人でしょ?朝刊だけでも取って下さいよ、試しに一か月。
社会人なら、新聞くらい読まないと駄目ですよ、ね、ね。
はい、これ、洗剤6箱。ゴミ袋。もう一個付けちゃう?」
ドアの外に立っていたのは、新聞の勧誘だった。
結構ですと断り扉を閉めたかったのだが、すでに男は身体を半分ドアに挟み、イツキの手に洗濯洗剤の箱を乗せ始める。
今時、こんな強引な手に引っ掛かる人間もいないと思うが…、世間に疎いイツキには、どうして良いのか解らない。
「……え、……俺、………いりません……」
「今度、カタログギフト、持って来ますよ。ウチなんて良心的な方ですよ。じゃあ、一週間、とりあえず無料で入れますんで……」
「………え…、………あ、そう……」
「ハイ、ハイ…」
早口で捲し立てイツキが面食らう間に、すでに目の前には契約の台帳が広げられ、ボールペンが差し出される。
イツキは…、手に持っていた洗剤が落ちないようにと壁に押し付け、空いた手で、ボールペンを受け取る…。
「馬鹿か」
不意に目の前の男が、よろける。
誰かが後ろから男の背中を小突いたのだ。
「……は?……何です…か……」
「帰れ、クソが!」
怒鳴り付け、威嚇する。相手の、一見で解るカタギではない様子に、勧誘の男は驚き慌てる。
広げた台帳をしまい、イツキの手から洗剤を取り、逃げる様に退散する。
突然の事に呆然とするイツキの前に立っていたのは、今度こそ
黒川だった。
2019年04月08日
イツキ・6
「馬鹿か、お前は。確認もせず安易にドアを開けやがって。読みもしない新聞を取る気だったのか?…新聞屋で良かったものの…上がり込まれたらどうする、ヤられるぞ。
せめてオートロックの部屋にしろ。今時、探したって見付からないぞ、こんなボロアパート…」
新聞屋の代わりに部屋に上がり込んだ黒川は、そこいらをぐるりと見回して、一通り、ケチを付ける。
「……染みったれた暮らしをするなよ、貧乏臭くなる。……なんだ、こっちの部屋は段ボールか…、……物置なのか?ここは」
「………会社の、……在庫置き場なんだよ。……マサヤ、……何しに来たの?」
「はァ? 荷物を送れと言ったのはお前だろう?……手間の掛かる……」
荷物は、アパート前の通りに停めた車に、まだ積んであるらしい。
……少し前に到着していて……さて、どんな顔でイツキに会うかと、車内で一服している時に、部屋に押し入る新聞屋を見掛けたのだ。
「……気を付けろよ、お前なんか、どこに行ってもいいカモだ。新聞もセールスも、簡単に引っ掛かりそうだな…。金の次は身体か、…すぐに男が寄ってくる……、大体……」
「………マサヤ」
悪態ばかりを並べる黒川に、イツキは、正面から抱き付く。
背中に手を回し、胸に顔を埋め、ぎゅっと力を込める。
「………久しぶりに会ったんだから、文句ばかり、言わない。俺、マサヤに、会いたかったんだから………」
「……………ふん」
「…マサヤは?」
胸に顔を埋めたまま、イツキは視線だけを上げ、黒川を見つめる。
離れてから、一か月と少し。これだけ別れていたのはあの、小野寺の一件でイツキが家出をした時以来。
……いや、その時よりも長いかも知れない。
「………会いたいから、わざわざ、来てやったんだろう」
そしてその時よりも、間違いなく、互いの情は深くなったのだろう。
……黒川が、こんな言葉を、吐くようになったのだから。
2019年04月10日
イツキ・7
一か月と少しの間、離れていただけなのに
肌や唇の質感はこんなものだったろうかと、思う。
間近に掛かる吐息も視線も、ただそれだけなのに、身体の内側を揺すり、熱くする。
やはり、この相手が良いと、お互い
思ったが、それは口に出しては、言わない。
「………薄っぺらい布団だな…、腰が痛くなる」
「……無いより、……マシでしょ?」
「……まあな」
段ボールに囲まれた部屋に敷きっぱなしになっていた布団は、お世辞にも、上等のものとは言えず
とりあえず、文句は言うが、……実際、そんな事はどうでもいい。
早くしないと、消えて無くなってしまうのではないかと、心配になる。
手早く服を脱ぎ、素肌を合わせ、幻ではない事を確認する。
乱暴とも思える程、黒川が、イツキの前髪を掴み、顔を上げさせる。
豆電球の小さな明かりの下、顔をまじまじと眺める。
イツキが手を伸ばし、黒川の頬に触れる。
唇を重ねる。舌を交える。雄の部分がどくんと脈打ち、欲望が膨れ上がる。
「…………イツキ」
始める前の儀式のように、名前を呼ぶ。
古い木造アパート。おそらく壁は薄く、大声や物音などは隣に筒抜けになるだろう。
それを気にする余裕も無いほど、二人は、久々のお互いを貪り合った。
2019年04月12日
イツキ・8
「………もう、帰るの?」
「……ああ」
コトが終わり、少し眠り、目が覚めたかと思えば、もう帰るのだと言う。
揉めていた光州会とは一応の話が付いた事。
それでももう暫く…ほとぼりが冷めるまで、イツキは黒川の近くにいない方が良いだろうという事。
さらにありがたくないことに、別件で、イツキに『仕事』の依頼が来ている事。
そんな現在の状況を、ざっと説明する。
「……じゃあ、もうちょっと…、……このまま?」
「ああ」
「……2、3か月くらい…、とか?」
「ああ」
外に停めていた車から、荷物を運んで来る。
旅行用の大きなバッグに、本当に適当に突っ込んだという風に、イツキの洋服が詰め込まれていた。
…中に、……特に意味は無いのだろうが、黒いスーツまであって、……イツキは少し不機嫌な顔になるのだが、黒川はそれに気付いていない。
「まあ、向こうにいて、四六時中、男に狙われるのも嫌だろう?…笠原の時のように、見張りを付けてもな……」
「そうだね。俺、こっちで気楽にやってるから、大丈夫」
イツキはむくれ、他所をむいたまま、ぶっきらぼうに答える。
確かに、黒川の言う通り、常に身の危険を感じながらの生活も嫌だが、……もう少し、どうになならないものかと…思う。
黒川はそんなイツキを横目で見て、ふふ、と笑う。
「…………また、来てやる」
荷物の中の紙袋を、イツキに手渡す。
そこには、イツキが欲しがっていた和菓子屋の、塩豆大福が入っていた。
2019年04月13日
イツキ・最終話
「………どうしたの、イツキくん。……眠い?」
「………いえ、……いや、……ええ、……そうですね…」
仕事に身が入らず、大あくびばかり繰り返すイツキに、ミカが笑いながら尋ねる。
つい数時間前まで黒川と一緒にいたこんな日は、勿論眠たくて気だるくて、外に出られる状態では無いのだが
まだ、ここでの生活に気を使ってるのか、イツキはどうにか出社だけはしていた。
「…あたしも。夕べ、動画見てたら止まんなくなっちゃった。……フフフ」
ミカはそう言って笑い、眠気覚ましのコーヒーを淹れに席を立った。
本当は一緒に帰りたいと。
多少、身の危険はあっても、黒川と一緒にいたいと
泣いてすがって、言えば良かったのかと……イツキは半分、思っていた。
それでも半分は、……そんな状況を黙認している黒川に怒っていたし
安全で、自由で、自立できるこの生活に、期待している部分もあった。
こんな風にでもないと、黒川と距離を取ることなど、出来ないだろう。
永遠の別れではない。黒川は、「また来る」と言う。
ちゃんと、自分に会いたくて、来てくれるのだ。
会いたくて。
「はーい、コーヒー、入りましたよー」
「ミカちゃん、俺、今日、大福持ってきたんだ。一個、あげる」
「本当? 嬉しい!」
黒川が持って来てくれた塩豆大福を、ミカと一緒に食べる。
イツキは、しばらくここで頑張ろうと、覚悟を決めていた。
2019年04月15日
黒川・1
「どうでしたか?イツキくん、元気にやっていましたか?」
「…ああ、…そうだな…」
イツキのアパートから事務所に戻り、黒川はいつも通り事務所で仕事を片付ける。
一ノ宮は、ようやく重い腰を上げた黒川に、アレコレ話を聞いてみたかったのだが…、そう簡単に話はしてくれない。
不愛想に短く返事をするのは、照れ隠しだとは、知っている。
「少し、ゆっくりされれば良かったのに。あの辺り、山間に入ると温泉宿もあるようですよ。今度はそちらに行かれては…」
「……いらん。…動き回って、足取りを探られては、元も子もないだろう。…イツキはしばらく、放っておく」
「……へえ…」
あまりに素っ気ない返事に、一ノ宮は呆れたように声を上げ、これ以上詮索は無駄だと諦める。
自分の仕事を手早く済ませ、後は外の用事があるからと、先に事務所を出て行ってしまった。
一人残った黒川は、大きく溜息をつく。
デスクを離れ、部屋の隅の冷蔵庫からビールを取り、ソファに座る。
缶を開け、煽る。センターテーブルに足を投げ出す。
最近は、ここに居る時間が増えた。睡眠すら、このソファで済ませてしまう。
……マンションに戻っても、どこか落ち着かず居心地が悪い。……その理由は、簡単だった。
「………クソ。……あいつも意地を張りやがって。……帰りたいと、泣き付きでもすれば…、………連れて帰ってやるのに………」
ビールを飲みながら、愚痴を零す。
単純に、黒川は、イツキが自分を頼らない選択をしたことが、不満だった。
2019年04月17日
黒川・2
「……イツキ、社長んトコから逃げたって本当ですか?……ここんとこ、連絡も付かないんですよねー…」
「今、一緒にいない事は確かだな。…ふん、さんざん面倒かけて、結局ドロンかよ……」
「いやー、でも本当なら、社長が放っておきますかねー?……あれでいて、イツキにゾッコンLOVEじゃないっすか………」
少々古臭い単語を交え、西崎と佐野は事務所でウワサ話。
イツキが姿を消したことは皆に知られるようになったが、西崎や佐野ですら、その真相は解らなかった。
「…うーん。だから社長、最近、様子が変なんですかね。勢いが無いっつーか。……寂しいんじゃないっすかねー、………夜が」
そんな事を言って、佐野が下品にクスクス笑っている最中、ドアが開き、黒川が入って来る。
佐野は、話を聞かれたかと、ぎょっとした顔をして…慌てて姿勢を直し、仕事をしているフリをする。
西崎が頭を下げる。
「……お疲れさまです、社長」
「ああ。西崎、裏のゲーム屋の件な、500万で手打ちだ。明日、書類を作りに行く。あと横浜の事務所に若い奴を回してくれ、2,3人……」
黒川は持って来た封筒をガサガサと開いて、仕事の話をいくつかする。
特に変わった様子は無いようだ。むしろイツキがいない分、仕事に身が入る様になったのではないかと、西崎は思う。
「…社長、今日はこの後、どうされます?……「花うさぎ」のママが、折り入って話があると言ってましたぜ?」
「どうせ新店の援助の話だろ?……また今度な、今日は帰る」
手早く用件を済ませ、明日の予定を立て、じゃあな、と黒川は西崎の事務所を後にする。
佐野は立ち上がり、黒川の前でドアを開け、お疲れ様でしたと頭を下げる。
黒川は、その頭を、拳で軽く小突くのだった。
2019年04月18日
黒川・3
『……マサヤ?……どうしたの?』
「…いや、別に。……電話しただけだ…」
『あ、この間の塩豆大福、ありがとう。…おもち、柔らかかった』
「……そうか」
そんな他愛もない電話。
スマホを耳にべったりと当て、少ない言葉の、合間の空気を、読む。
『マサヤ、ご飯、食べた?』
「…いや。……昼過ぎに事務所で一ノ宮と出前を取ったきりだな…」
『ちゃんと食べなきゃダメだよ。俺、最近、自分でご飯、炊いてるよ』
「…ふん」
馬鹿馬鹿しいと言った風に鼻で笑う。
変わらないその仕草が、目に浮かぶ。
『……今度さ、…武松寿司の厚焼き玉子、持って来て』
「わざわざ届けろと?…俺は宅配業者かよ」
『……ん。……今度、何かのついででいいからさ……』
「……そのうちな…」
そう話して、電話は切れた。
2019年04月19日
黒川・4
イツキが、借金のカタに手に入れた商品で、何かと都合の良い欲情の捌け口……、だけの存在ではない事は、ようやく黒川も自覚していた。
ただ、では、それが何なのかは、まだ答えを出さないでいた。
とりあえず朝昼晩と一緒に過ごし、文句を言いながら食事をし、肩を抱きながら酒を飲み、ただれるまで身体を重ねた。
「………依存症かよ。………ヤクより、タチが悪いな……」
事務所の近くの焼き鳥屋で、一人、管を巻く。
薄々気が付いてはいたが、イツキを外に出して以来、若干、暇を持て余していた。
仕事は忙しいし、言い寄って来る女も男も、いない訳ではない。ここ数日の間でも、付き合いの延長で夜を過ごした相手がいる。
けれど、そのどれもがどこか不十分で、逆に、足りない部分を意識させられた。
「……お待たせしました、社長。……おや、随分と…進んでいるようですね…」
遅れて、一ノ宮が店に来る。
カウンターの黒川の隣りに座り、自分も同じ酒を注文する。
多少、酔いが回った様子の黒川。煙草を吸い、つまらなそうにふんと鼻息を鳴らし、いつの間にかグラスが空になったと、ぼやく。
一ノ宮は気付かれないように、小さく笑う。
こんなに、人、らしい黒川を見るのは久しぶりだったし、まあ良い傾向なのではないかと思った。
2019年04月20日
黒川・5
「会いに行かれたのでしょう?イツキくんに。元気でやっていましたか?」
「……ふん。……危うく、新聞屋を部屋に上げる所だったぜ、あの、馬鹿」
「もうそろそろ、連れて帰るのかと…、思っていたんですが…」
「……暫く、この状態でいいだろう。……誘いを断るにも、楽だしな」
焼き鳥の盛り合わせと、安い本醸造の冷や酒。
カウンターしかない小さな店で、肩を寄せながら飲んでいると、つい、本音が零れてしまう。
「……あなたが、寂しいのではないかと、……思いましたよ」
「……………ふん」
否定も肯定もせず、黒川は鼻息を鳴らす。
吸っていた煙草を灰皿に押し付け、一ノ宮と自分のグラスに、新しい酒を注ぐ。
「……良くも悪くも、あいつとは、馴染み過ぎているからな。……ここいらで少し、距離を取るのもいいだろう……」
「案外、イツキくんには、いい気晴らしかも知れませんね。ずっとあなたの傍では息も詰まるでしょう」
黒川自身、そんな風に考えたことは無かったようで、一ノ宮の言葉に軽く驚き、思わず一ノ宮を二度見する。
確かに、自分の傍にいることがイツキにとって最良の状態なのだとは、お世辞にも言えない。
「……このまま、別れ離れ、……なんて。……どうします?……そんな事になったら」
「……あの馬鹿が、……一人で生きて行けるかよ。
どうせすぐに悪い男に捕まる。
……やる事が一緒なら、……俺が、……やる。………イツキは、俺が捕まえたんだからな…」
そう言って、黒川はグラスの酒を空にする。
今日は少し、飲み過ぎていた。
2019年04月22日
ミツオ・1
イツキが働くハーバルの作業所に、ミツオが来ていた。
系列の美容室で扱う新しいヘアオイルのサンプルを受け取りに…らしい。
軽く頭を下げて、中に入り、さらに社長がいる奥の部屋に入る。
イツキも頭を下げ、小さく微笑む。ミカは、ミツオの名前だけは知っているが、初対面だったようだ。
「……あの人がミツオさんなんだ?……恰好良いねー。ウチの商品のアドバイザーなんでしょ?……美容師さん?……やーん、髪、切って貰いたいー」
騒ぐミカを横目に、イツキはあえてだんまりを決め込む。
何をどこまで話して良いのか解らない時は、とりあえず何も言わない方が良いと、多少は学んだようだ。
「先日のオーガニックシリーズ、好評でしたよ。香りも丁度良くて…でも、オイルはもう少し軽めになると良いですね」
「今度のは良いと思うよ。…やっぱり天然ものは、季節でバラつきがあってねぇ…」
社長とミツオがサンプル品を並べ、アレコレ話をしていると、パートの小森がお茶を運んで来る。
小森は、ミツオと面識があるようだ。「……久しぶり」と、幾分親し気に声を掛けた。
「……いや、でも。……今回は本当に、社長にはお世話になって……」
「……うん?」
「……イツキくんですよ。……急な頼みだったのに、快く受け入れてもらって…」
「ああ、いやいや、良い子で助かってるよ。真面目で、細かい仕事も得意でね…」
二人が小さな声で話すのを、小森は傍耳を立て、聞く。
ミカにはさんざん、イツキの事で騒ぎ立てるな…と言っているが、…こんな場所に急に働きに来るようになった少年が、気にならない訳はない。
まして、ミツオの紹介なのだ。
小森はチラリとミツオを覗き視線「を送る。
ミツオはそれに気づかなかったようで、細くて長い指先で、サンプル品のボトルを開け閉めしていた。