2019年05月25日
余波・6
林田とミカは車の中で、何故か口元を押さえ、息すら潜め、まるで寝転ぶように座席に座り、身体を隠していた。
カンカンと音を立て、ミツオが、アパートの階段を降りて行く。
二階の奥の部屋の扉の前では、シャツだけを羽織ったイツキが、しばらくミツオの姿を見送っていた。
「………イツキくん、………って!、…………うそ、……えええっっ…」
ようやくミカが口を開く。今見た光景が信じられないといった感じで、言葉にならない。
林田も、口をぽかんと開けたまま、さらに深く、座席に沈んでいくようだ。
イツキに、「彼氏」がいることは…昨日、聞かされていた。
体調のすぐれないイツキを見舞ったのだろうか…、別れ際に、玄関先でハグするなんて、おそらくこの男が、イツキの「彼氏」なのだろう。
「………やだ!ミツオさんじゃん!」
「…え?……ミカちゃん、知ってる人?」
「林田さん、知らないんですか? ミツオさん、ハーバルの商品アドバイザーですよ。社長の親戚の方。この間も来て……
…ああ、だから、イツキくん、ウチで働く事になったんだ…、……あー…、そうなんだー……」
ミカは合点がいったという風に唸り、何度も頷き、それから林田に、自分が知っている限りのミツオの話をしてやった。
林田は、東京で美容師をしているというイケメンお洒落ヒゲの彼が、イツキの彼氏なのだと信じて疑いはしなかった。
「……そうなんだ。……訳アリでちょっと離れて、イツキくんはここで働いて…、……でも仲直りして、会いに来たってヤツか……。……ふーん……」
そう呟く林田は、どこか寂し気で、悲しそうだった。
2019年05月26日
余波・7
真夜中に電話が鳴った。黒川からだった。
眠っていたイツキはケータイを耳に当て、これが現実かどうか、慎重に確かめる。
「………本物?」
『は?……なんだ、寝ぼけているのか?』
「………ん。……だって、夜中だよ…」
そうは言ってもまだ深夜1時を回ったところ。一緒にいた頃には、普通に、焼肉屋になど行った時間。
黒川は一仕事終え、事務所でビールを飲みながら、ほんの気まぐれだという風にイツキの様子を伺う。
寂しいだの、会いたいだのは、お互い、口が裂けても言わない。
先に言い出した方が負け、というゲームにでも、興じているのか。
『…どうだ?…上手くやっているのか…』
「まあね。問題ナシ。…マサヤが持って来てくれたスーツも、…役に立ったし」
『黒スーツか?……着る機会があったのかよ』
「ふふ。…ちょっとね。……大丈夫。…俺、がんばってるから……」
黒川もイツキも目を瞑りながら話をする。そうすればまるで隣に、すぐ耳元に、相手がいるような気になってくる。
手を伸ばして、触れられないのが、残念。
「マサヤ」
『……うん?』
「早く、玉子焼き、ね。俺、待ってるからね」
『…ああ』
そうして、通話が終わってからも二人はしばらく同じように、互いの事を、想っていた。
2019年05月29日
コイバナ
翌日、イツキは普通に仕事に向かう。
体調が優れないと言ったものの、半分は二日酔いと…ミツオのせいで、ずる休みをしてしまったと…少し、反省していた。
それでも心配し、労ってくれる社長に、ぺこりと頭を下げて、自分の仕事につく。
隣りに座っていたミカは妙にニコニコと微笑み、イツキに飴玉など分けてくれるのだった。
「あたしはね、実はね、……林田さん狙いなの。でも、あの人、なんかぽやんとしてるトコあるじゃない? あんまり強気で出ても、あれかなー…って思って…。
でも、だからと言って何にもしないんじゃ、何にも変わらないじゃない?
どうしたらもっと…こう、…ぱっとするかな…。ドラマチックな展開ってゆーの?」
昼休み。
部屋に二人きりになったミカが、急に自分の恋愛相談を始めるので、イツキは驚く。
田舎町の、色気も素っ気もない、小さな作業場。今まで、この手の話が出来る雰囲気ではなかったが
イツキが、……たとえ同性相手だとしても……、いわゆる「ドラマチック」な恋愛をしていると解り、がぜんミカの意識が高まる。
「…やっぱりさ、…何か、仕掛けるべきだと思う?……どう思う?……イツキくんは、何か、した?」
「え?……ええと、俺は…、特に…何も。……待ってるの、専門っていうか…」
「ええー? それでいいの?……ああん、何かガツンと行くべきじゃないのかなー」
ミカは頬を赤く染め、一人、盛り上がっていた。
林田とはうっかりセックスしてしまったが、別に恋愛感情は無い。ミカが林田を好きだと言うのなら、この先は少し、気を付けよう。
黒川には「待ち専門」だったが、そろそろそれは変えた方が良いのかも知れない。
ガツンと行けば、状況は変わるのだろうか。では一体、何をどう、ガツンと行けばいいのだろうか。
イツキは弁当のコロッケを突きながら、何をどこまで話して良いのか、困っていた。
2019年05月30日
これからのこと
イツキのアパートの部屋に、新しいソファが届いた。
イツキにしては珍しく頑張って、ネットで検索し、通販サイトで購入したのだった。
ソファと言っても足の無いタイプ。座椅子に毛が生えた程度。二人掛けの小さなサイズだったが、アパートの部屋には丁度良かった。
色は、落ち着いた焦げ茶色。
「ふふふ」
考えてみれば自分で、自分の部屋の家具を買うなど、初めてのことかも知れない。
イツキは口元に笑みを浮かべながら、用も無いのに、ソファに座ったり、立ち上がったりを繰り返した。
すでに5月も後半。ここでの生活も一か月を過ぎた。
心細さに、ふいに夜中に胸が苦しくなることはあっても、仕事も生活も随分と慣れてきたように思う。
黒川とも連絡が付かない訳ではない。もう暫く我慢しろと言われれば、あと2,3ヶ月は何とかなるかなと思う。
それを過ぎたら…
意外と、この生活が、当たり前になるかも知れない。
それはそれで、どうだろうかと…思うけど。
壁に貼ってある水着のアイドルのカレンダーを、見る。……カレンダーは元々部屋にあったものだ。
6月の二週目に赤いマジックで「オーガニックフェスタ」と書かれてある。
都内のどこぞで開かれる物産展にハーバルも出店し、その時は社員総出で売り込みに行くと言う。……勿論、イツキも数に入っているらしい。
「……場所、どこだったかな…。……銀座…、とか…言ってたかな……。自由時間とか…、あるんだろうか……」
イツキはつぶやき、これからの事に思いを巡らせながら、新しいソファでうとうととするのだった。
2019年05月31日
黒川
その日、真夜中を過ぎても、西崎の事務所はまだ人の出入りがありザワついていた。
奥のソファには頭から血を流した佐野が、その個所をタオルで押さえ
脇で西崎と黒川が、電話を片手に、対応に追われているようだった。
「……申し訳ないです、社長。……こんな面倒、おこしちまって……」
「いや、売られた喧嘩だ。仕方ないだろう。……まあ、佐野も、少し手が早かったがな」
黒川は半分笑いながらそう言い、佐野を見下ろす。佐野は面目次第も無いと言った様子で、頭をぺこりと下げる。
西崎組の管理する店で、他の組の若い連中が揉め事を起こしたのだ。
ケツ持ちで居合わせた佐野が仲裁に入ったものの、少々、行き過ぎ…、結局、場を収めるために黒川まで呼び出される羽目になる。
それでも、警察沙汰にはならず、死人も出ず、内々で事は片付いたのだった。
やがて、出掛ける用意が出来たと、一ノ宮が黒川を迎えに来る。
「…一応、向こうさんにも挨拶に行ってくる。まあ、大事にはせんよ。最近は公安もウルサイからな…」
「すみません。ご足労、おかけします…」
西崎と佐野は深々と頭を下げ、黒川は事務所を出て行った。
一ノ宮の運転で、夜の街を走る。
相手方に連絡も付いている。手間は掛かるが、そう大した問題ではない。
「………よろしかったのですか?」
「…うん?」
「……ご予定が、……おありだったのでしょう?」
ハンドルを握りながら、一ノ宮がちらりと後ろの座席に目をやる。
「…まあ、こんな時もあるだろうよ。……構わんさ…」
そう言って黒川はスーツの内ポケットから煙草を出し、一服する。
繁華街の流れるネオンを眺めながら、溜息まじりに煙を吹かした。
後ろの座席には
玉子焼きの入った、寿司屋の折り詰めが置かれていた。