2019年06月02日
週末
イツキは黒川に電話をする。
本当は、朝に一度、昼に二度、電話をしようと思ったのだが…自分から連絡を入れるのはどこか、シャクで…、手を止めていた。
「……マサヤ」
『………なんだ』
「…週末、こっちに来たり…する?」
『……いや。……忙しい』
黒川は本当に仕事が忙しいらしい。
西崎組で起きた揉め事を収めるために、あちこちに顔を出し、部屋に戻って来たのは夜が明けてからだった。
勿論、詳しい事情をイツキは知らない。
黒川は、話す気もない。
『……なんだ?』
「……ん。……会社の人たちに、…ご飯、誘われたんだけど。……マサヤ来るなら、止めようかなって……」
『……今週は無理だな。……そのうち、……また連絡する』
「………はぁい、……じゃあね」
そうして電話は切れ、イツキは軽く鼻息を鳴らして、ケータイをソファに放り投げた。
気を取り直して、イツキは出掛ける支度をする。
黒川には「ご飯」と言ったものの、それは厳密には違って。
行き先は、以前からミカに誘われていた、スーパー銭湯だった。
黒川に会えない週末は、少し寂しかったが、それでも
岩盤浴まであるというスーパー銭湯に、イツキの心は奪われていた。
2019年06月04日
天然温泉・スーパー湯〜らんど・極楽
駅から少し離れた場所にポツンと立つスーパー銭湯。
一応、天然温泉が湧いているらしい。
数種類のお楽しみ湯処、サウナに岩盤浴。アカスリ足揉みデトックス。
館内着でくつろぐ大食堂。
「…えっ、休憩スペースもあるの?24時間営業なの?」
「ねー。すごいよねー、ここ。明日は日曜日だし、のんびりできるねー」
前々からの約束で、イツキはミカと二人で、風呂に来ていた。
土曜日の夕方とあって多くの客で賑わっていたが、場所自体が広いため、そう混雑している風でもない。
ミカは何度か利用した事があり、知った顔で館内の説明をする。
「はい、リストバンド。ここ、ピってすると、全部お会計出来るからね。二階に普通のお風呂があって、館内着に着替えて下に降りると、岩盤浴と食堂があって……」
「岩盤浴は、男女、別れてないの?」
「そうよ。一緒。じゃあ30分後に待ち合わせね。ロウリュウが始まるからね」
「…え?…ロウ…、え?」
勝手が解らずキョトンとするイツキに、ミカは笑って、じゃあねと手を振って女湯に向かってしまった。
イツキは、解らないなりに、とりあえず身体だけ流しておこうと男湯に向かう。
人前で裸になる公衆浴場は苦手だったが、温泉や広い湯船は好きだった。
こういった場所は何度か利用した事もあり、みな、自分が思っている程、他人の裸を見ていない……ような気もした。
恥ずかしがるから、逆に、恥ずかしくなるのだ。…と、以前、梶原に言われた事がある。
「………ま、……お風呂だし。………みんな、ハダカだし…」
イツキはタオルで、生っちろい身体の腰だけ隠し、洗い場の隅でささっと身体を洗い、気泡だらけで中が見えないジェットバスに浸かり
久々の、足が伸ばせる湯船に、リラックスしたようにふうと溜息を付いた。
極楽の夜・1
大きめニットの甚平と言った感じの館内着を来て、イツキはミカの待つ岩盤浴コーナーに向かう。
イツキは、岩盤浴というものは初めてだったが、要は熱い石の上に寝て汗を掻くものらしい。
「イヤ、ただの汗じゃないのよ。もっと身体の芯から掻くような感じで…逆に超、サッパリするんだから」
言われるがまま、最初は温度の低い、初心者向けの部屋に入る。
温かい床の上にタオルを敷いて寝転ぶと、確かに、じんわりと汗が出て身体の奥が融けて行くようだ。
「………あ、………気持ちいいね…」
「ねー。うつ伏せ寝もいいよ。お腹、あったまるよ」
少し薄暗い部屋。隅の方には暖炉の様なものがあり、時折そこから良い香りの湯気があがる。
男同士、ハダカを晒す風呂も、男女一緒の岩盤浴も、……どうしたものかとちょっと不安はあったけれど、杞憂に終わる。
疲れや緊張がほぐれて行くのが解る。うっかり、「ごくらく、ごくらく」と言ってしまいそうになる。
けれど、次に入った「ロウリュウ」の部屋は、様子がまったく違った。
温かい、と言うか、すでに熱い部屋。ベンチに座るだけで、もう、汗が噴き出してくる。真ん中の大きな桶に溶岩のような石が積まれていて、法被姿の店員が、そこに勢いよく水を掛ける。
当然、大量の蒸気と熱気が上がる。
「さあ、みなさん、行きますよ!大きな声でご一緒に。それ、ワッショイワッショイ!」
店員は大うちわを持ち、威勢の良い掛け声とともに、客に、熱風を浴びせ掛けるのだった。
2019年06月05日
極楽の夜・2
「凄かったねー。熱かったねー。汗、ダラダラだねー。でも、キレイな汗でしょ?ベタつかないんだよ。不思議だよね。…あっ、お料理出来たみたい、取って来るね」
休憩処のテーブルで、イツキは若干、伸びていた。
大量の汗を掻いたことも勿論、初めての体験に、戸惑いドキドキする。それでもそれ以上に、楽しかった。
ミカは手慣れた様子で、テーブルのタッチパネルから料理の注文をし、出来上がりの案内があると、カウンターにそれを取りに行く。
戻って来るとトレイの上には、枝豆と焼き鳥と羽根餃子。そして生ビールのジョッキが2つ乗っていた。
「えへへ。本当はダメだけどね。…飲めるんでしょ?林田さんから聞いちゃった」
ミカが悪戯っぽく笑う。直接、店員が注文を取らないからと言って、こんな悪さはいけないのだけど、イツキが断るはずもない。
とりあえず乾杯をして、ぐっと喉に通してしまう。
熱く、乾いた身体に、これ以上のご褒美はないと言った様子。
実は、風呂あがりは異様に吸収が良いのだけど、……それに気付くのは、まだ少し、先。
「あー。やっぱりビールよねぇ。…岩盤浴でデトックスだけど…、…やっぱりビールよねぇ…」
「ふふふ。そうですね。……美味しいですね。……身体中の水分が、入れ替わっちゃいそうですね」
二人はそう、まるで酒飲みのような事を言って、くすくす笑い
飲み終わる前に、すぐ、次のビールを注文してしまうのだった。
未成年の飲酒は、駄目ですよ〜!!
2019年06月07日
極楽の夜・3
「イツキくんってさ、どんな人と付き合ってるの?」
「………え?」
「……あたし、……知ってる。……この間、林田さんと……」
そこまで話して丁度良く、ミカは言葉をはぐらかし、意味深に笑う。
ミカは、先日林田と目撃したイツキとミツオの場面で、イツキがミツオと付き合っているのだと思い込み、
イツキは、林田に話した『自分が付き合っているのは男』という情報が、ミカに伝わってしまったのだと思う。
風呂上がり、中ジョッキ3杯でほどよく出来上がった二人には、互いの勘違いに気付く余地はない。
「……ええと。……付き合っている…、という感じでも……ないんだけど……」
「またまたー。だって、わざわざ会いに来てくれちゃったりするんでしょ?……あ、あたし、そういうの、大丈夫だから!……ボーイズラブって言うの?……ふふ」
ジョッキを軽々と煽りながら、ミカは、何でもお姉さんに話してみなさいという風に、イツキをそそのかす。
イツキもこんな場所で気が緩んでいるのか……ただ酒に酔っただけなのか……、まあ、あまり詳しく話さなければ良いだろうと……、口を開く。
「怖い人ですよ。俺のことなんて、ゴミかペットかそれ以下かってくらいの扱いで…、ああ、今は多分、そんな事も無いと…思うけど…。前は酷くて……。
でも、少し距離を取る様になって、……少し、優しくなったかな。……ちょっとだけ……」
懐かしくも切なく、愛しく、黒川の事を思い出し…言葉を選ぶイツキを
ミカは驚いた様子で目を丸くし、「……へー…、……そうなんだ…」と答えるだけだった。
2019年06月08日
極楽の夜・4
食事処の隣りは、休憩スペースになっていた。
薄暗いフロア。個別にテレビまで付いたリクライニングソファが、等間隔に並ぶ。
中ジョッキ5杯でかなり酩酊したイツキとミカは、少し休んでから帰ろうと、そこに移動する。
「………カレと、離れちゃってて、寂しい?………会いたい?」
「…………ん。…………会いたい…」
隣り同士ソファに座り、最後に小さな声でそんな話をする。
口に出して改めてイツキは自分がどれだけ黒川に会いたがっているのか、気付いた。
数時間休んだ頃だろうか、ミカが急にイツキの肩を揺すり、起こす。
実家から連絡があり、急に家に帰ることになったと言う。
「……ごめんね、しーちゃんの具合が悪いらしくて…、あ、実家の犬なんだけど、もうおばあちゃんで…。……イツキくん、もう少し休んで行って。朝になったら、送迎バスも出るから……」
まだ酒も残り、寝ぼけていたイツキは判断も付かず、ミカの言う通りにすることにする。
不安もあったが日頃の疲れもあり、目を閉じるとまた、すっと寝入ってしまった。
次に目を開けた時、イツキは何故自分が一人、広いフロアのリクライニングソファに座っているのか解らなかったが……、少し経つと、思い出した。
ケータイを開くと時間は朝の5時。連絡は、ミカからのみ。犬は大事にはならなかったとの事。
「………よかった…」
イツキはつぶやき、安堵の溜息を付き、取りあえず目を覚まそうと、もう一度、風呂に入ることにした。
2019年06月09日
極楽の夜・5
24時間営業の施設。イツキと同じように休憩スペースで寝入っている人もチラホラいたが、早朝のためか偶然か、風呂場に客はいなかった。
「……やった。……貸し切り…」
イツキはそう言って、ふふふと笑う。
人目を気にせず、洗い場で身体を洗い、外にある露天風呂に向かう。
昨日、最初に来た時から気になっていたのだが、その時にはまだ他の客がおり、入る事が出来なかった。
自分の身体が特にオカシイと…そんなには思わないのだけど、男にしてはツルツルの白い肌に欲情を抱く輩がいる事は知っている。
「ふふふ。浴場で欲情…、なんちゃって……」
くだらない冗談を呟き、イツキはゴツゴツとした岩で囲まれた風呂にダイブし、思う存分熱い湯を楽しむのだった。
「……先客か」
ふいに物音がして、人の声が聞こえ、イツキは驚く。
そちらを見ると男が一人、イツキと同じ風呂に入ろうと向かって来る。
誰も来ない保証など、どこにも無かったのだ。気を抜き過ぎていたとイツキは慌て、背を向けようとしたのだけど……
その見知らぬ男から、視線が離せなくなってしまった。
2019年06月10日
極楽・6
男は三十代といったところか。筋肉質の立派な体格、飄々とした顔立ち。すでに濡れ、額にかかる前髪の間から覗く、鋭い眼光の細い目。
それよりも、何よりもイツキの目を奪ったのは、両肩に彫られた鮮やかな文様の刺青だった。
男は構わず、イツキから少し離れて、風呂に入る。
両手で湯をすくうと顔をざぶざぶとやり、そのまま前髪を後ろに流し、ふうと息を付く。
喧嘩で付けたのだろうか、腕には何かしらの傷跡が残る。
あまりじろじろと見るものではない。けれど、イツキは目が離せなくなる。
イツキが注視していることに男も気付いたのだろう。もっとも、注目を浴びることは解ってはいる。
「……悪いな」
「………え…」
「……この時間なら構わんと、了承を得ていてな……」
言われて初めてイツキは、自分が不躾にもそれを眺めていた事に気付く。
公共の大衆浴場で、この種類の人間が拒否されている事を、イツキが知らない訳はない。
謝罪の言葉を口にし、ようやく視線を外し、我関せずと他所の方を向く。
「……兄ちゃんも、ずい分、早い風呂だな。やっぱり、アレが目当てか?」
「……えっ」
「朝イチのビン牛乳サービス…だろ? ははは…」
半分冗談めかして男は笑い、またざぶざぶと顔を洗う。
どこか高圧的な、上からの物言いが、………どこか黒川に似ていた。
そして気付くと今度は、男が、イツキから目を離せなくなっていた。
2019年06月11日
極楽の夜・7
「……兄ちゃん、学生か?」
「………いえ」
「…地元か?……ここには初めて来たのか?」
「……あの、……最近越して来たばかりで…、よく解らないです…」
男はイツキに興味を持ったのか、そう尋ねながら少し距離を詰める。
イツキはなるべく顔を見られないように他所を向き、少し距離を取る。
ここいらでは見掛けない顔。もちろん地域の若者全てを知っている訳ではないが、イツキのようなタイプは一度見ればおそらく、記憶に残るに違いない。
優し気なキレイな顔立ち。女性的な白い肌。半分向こうを向いているためか、うなじから肩のラインが目に付き、それがなんとも艶っぽい。
なにより、様子が、オカシイ。
たいていの連中は、男の彫り物を見ると、見てはいけないものを見てしまったと慌てふためき、恐れ、怯え、その場から逃げ出そうとする。
これどこの若者は、どうも反応が違う。
彫り物に怯えている…という感じではない。それから目を逸らしているのではなく、自分の身体を、隠しているといった風なのだ。
何かあるのか、と、男は覗き込むようにイツキを見る。
微かに湯が動き気配を感じるのか、イツキは一層身を固くする。
さっさと風呂から出てしまえば良いものを…、…風呂場の出入り口近くに男がいるため、風呂から出るには男の前を歩かなければいけない。
立ち上がり、男の前ですべてを晒すなど、想像しただけで……
……イツキは簡単に、感じてしまう。
2019年06月12日
極楽の夜・8
もともとイツキには大した倫理感など無いし、黒川に操立てしている訳でもない。
少し優しくされればミツオと、酒が入れば林田とも、身体を重ねてしまう。
今まで散々、仕事だ何だと言われてセックスをしてきたのだから、それ自体に意味など持たないのだけど
一応のボーダーラインは、ある。
とても大切な友人……梶原や、…一ノ宮もそうかも知れない、尊敬し、一目置くような相手とは、ヤらない。
そして、あまりに危険な相手。逆に自分が堕ちてしまいそうだと感じる相手には、警戒する。
……笠原がそうだったかも知れない。…結局、シてしまったけど…。
同じ湯の中、背中に気配を感じながら
この男は駄目だと…イツキはのぼせた頭で、必死に自分に言い聞かせる。
ましてや黒川と同業なのだ。トラブルになるのは目に見えている。
どうにかこの場から離れ、何ごとも無かったかのように、軽やかに、男の前から消え去ろうと………イツキは思いあぐねる。
そんなイツキの画策は、まあ、上手く行った試しはない。
「………なあ、兄ちゃん……」
男がもう一歩間を詰め、イツキに話しかけた瞬間に、イツキは勢い立ち上がる。
そのまま何も言わず、風呂から上がるつもりだったが……湯に足を取られたのと、のぼせていたのとで、フラつき…
あろう事か、男の肩に手を付いてしまう。
「…ああっ、ごめんなさい。……俺、……帰ります……」
何とか体勢を立て直し、男にぺこりと頭を下げると、バシャバシャと湯を掻き分け風呂から出る。
2019年06月13日
極楽の夜・9
露天風呂から出て、屋内の洗い場を小走りで抜ける。
まさか追っては来ないかと…確認したかったが、後ろを振り向く間も惜しい。
脱衣所のロッカーは生憎、一番奥の、目につきにくい柱の陰。
自分が隠れるために選んだ場所だったが、今となっては、周りが見えない事が怖い。
「……着替え。……あっ、もう館内着じゃない。……服、服…」
バスタオルで身体を拭くこともせず。髪の毛先からはぽたぽたと水が滴る。
ロッカーの中から着替えを出す。途中まで、間違えて館内着に袖を通し…、…このまま帰るのだったらそれは違うと、慌てて着直す。
「……なるほどね」
いつの間にか背後に迫っていた男に声を掛けられた時には、イツキはようやく下着を身に着け、シャツを羽織ったところだった。
男は、
イツキを突き飛ばす。
イツキはよろけ、壁に当たる。
すかさず男はイツキの腕を掴み、後ろ手にねじり上げ、そのまま背中ごと壁に押し付ける。
イツキは男の顔も見れず、壁に張り付く格好になる。
さすがにプロと言うべきか、男は簡単にイツキの自由を奪う。
「………コレじゃぁ、……隠すワケだよな。……何、兄ちゃん、……そっちの子?」
男はイツキの下着に手を差し入れ…、イツキの、隠したがっていた部分を、指先で確認した。
2019年06月15日
極楽の夜・10
男の手はイツキの股間を弄り、通常、生えているであろう毛を探す。
イツキは、実は少し前までは……辛うじて子供の様な産毛が生えていたのだけど……、先日それも処理してしまっていた。
最近は、衛生上の理由から全身脱毛をする若者もいるが……まあ、男子は稀だろう。
そんな事をするのは、性産業に関わる者か、特別な性癖のある者だけだと、
自分も、少なからずその産業に携わっている男は、知っていた。
「………どこのシマだ?……ここいらじゃ見ないもんなぁ…。……デリヘルか?立ちんぼか?」
「…………そんなんじゃ…ない……」
「そうか?……それしちゃぁ……緩いケツ穴だな……」
男は立てた親指を、イツキの入り口の上に当てる。風呂上がりでまだ濡れそぼったそこは、少し力を込めただけで、簡単に中に入ってしまう。
くるくると回し、ふふふと笑い、「………ちょっと試してみるか…?」などと言う。
元々、男にその趣味は無かった。
イツキが風呂場で過剰に意識し、慌てて逃げ出すような真似をしなければ、案外、何事も起きなかったのかも知れない。
「やッ……だめだめだめ。俺、駄目です。…怒られちゃう。俺、…ボスがいます。こんな事、知られたら…、大変。……本当に、……大変なことになっちゃう……」
「……静かにしろよ、……人が来ちまう…」
「本当に、駄目なんだってば!……ダメー!!」
イツキにしては珍しく大声を出し、最後の抵抗を試みる。
身動きが取れないながらももぞもぞと身体を動かし、くねらせる。
それでも男は、イツキの下着をずり下げ、尻の割れ目に自分のモノの先端をあてがう。
熱と質量。触れただけで、イツキは許してしまいそうだと…、……傾く気持ちに揺らぐ。
「………あれー、誰かいますかー?」
そう声が聞こえ、
幸か不幸か、脱衣所に人が入って来た。
極楽・最終話
「……イツキくーん?……いるー?」
脱衣所に入って来たのは、林田だった。どうやらイツキを探しに来たのだ。
今からイツキを犯そうとしていた男は、手を緩め、イツキもその隙に、男の拘束から逃れる。
ロッカーからカバンを掻き出し、とにかく一目散に、男から離れる。
男はイツキを追おうにも、…何も身に着けていないのだ。脱衣所の外に出る事は出来なかった。
「……はっ…林田さん…、……なんで……」
「…あ、やっぱここにいたんだ。良かった…、って、お前、何でまだパンイチ?…着替えて来いよ…」
「……いや、……中、なんか…暑くて……、ははは…」
イツキは笑って誤魔化し、脱衣所の出入り口の暖簾の前で、どうにか服を着替えるのだった。
「……ミカちゃんから連絡があってさ。イツキくん、極楽に一人で置いて来ちゃったから心配だって…。ああ、犬は大丈夫。なんか、おやつの食べ過ぎで……」
帰り道は林田の車で送って貰う。
本当は林田も風呂に入りたかったのだが、イツキはもう帰ると、赤すぎる、のぼせた顔でとっとと出て来てしまった。
「…のぼせた?…風呂、熱すぎた?……でも、露天は良かっただろ? 今度は一緒に行こうぜ?」
「………もう、……行かない。………お風呂、……や……」
イツキはそう言って、助手席に深く沈んでいく。
林田はすっかり湯あたりしたイツキを横目で眺めて、可愛いな、と呑気に笑うのだった。
とりあえず何事もなく、終了。
……先っぽぐらいは、入ったかも?笑
そして所用で更新、3,4日お休みします。
すみませんー!
2019年06月20日
夢で逢いましょう
目を覚ましたイツキは、一瞬、自分がどこにいるのか解らなかった。
それでも見慣れた天井、見慣れた部屋。隣には、見慣れた男がいた。
「…………マサヤ?」
小さな声で、黒川は目を開け、イツキを見てニコリと笑う。
手を伸ばすとまるでそれが世界の決め事のように、イツキは、その手の中に納まる。
「………あ、……これ、……夢?」
「……どうして、そう思う?」
「だって、俺、今ここにいないはずだもん。……それに…」
「…それに?」
腕の中で、イツキは黒川を見上げる。
黒川はイツキの髪を掻き上げ、そのまま頬に手をやり、イツキの額にキスをする。
「………マサヤが、……優し過ぎる……」
「はは。……優しい俺は、夢、かよ」
「…それでもいいや。俺、マサヤに会いたかったんだ。…夢でも…」
夢にしてはリアルな人肌。イツキは黒川の背中に腕を回し、ぎゅっと力を込める。
黒川は、もう一度イツキの額にキスをすると、「…俺も、会いたかった、お前に」などと言う。
本当の黒川が、こんな事を言う筈はない。やっぱりこれは夢なのだ。
それでも、黒川に会いたい自分の気持や、自分に会いたい黒川の気持は、多分、本当のものなのだろうと……思った。
目を覚ましてイツキは、小さく溜息を付く。
目の前で呑気に寝息を立てる林田を見て、何をどう間違えたらこんな事になるのかと、考えていた。
2019年06月22日
イツキと林田
「ごめんなさい。無かった事にして下さい」
「…………あ、………うん」
スーパー銭湯からの帰り。車で送ってくれた林田を、イツキは部屋に引き込んだ。
突然現れた、黒川と同業の男に無駄に身体を触られ、弄られ、その気にさせられ……、……寸での所で終いになって、……それで収まるイツキでは無かった。
男とは、シては駄目で、林田となら良いというのは…、一体どんな線引きなのか、イツキ自身にもよく解らないのだけど。
それでも、終わった後に、酷い後悔の念がイツキを襲う。
軽すぎる。
こんな時のセックスは、ただ性欲を発散するための、何の意味も持たないものだけど、
その相手に林田を選ぶのは、あまりに安易過ぎるし、何より、失礼過ぎだと…それぐらいは解っていた。
一方、林田は、風呂上りの赤い顔のイツキを車の助手席に乗せ、何か変な期待をしていないかと言えば、嘘だった。
家に着き、部屋に上がってと言われ、「……なんか、のぼせちゃったみたい……」と、石鹸の匂いのする身体を摺り寄せられては…、…する事は一つだった。
イツキに彼氏がいる事は知っている。けれど今は離れ離れの、訳アリらしい。
それなら自分が…、彼氏ポジションに付くことも…、あるかも知れない、それもイイかも知れない…いや、どうなのか…アリなのか……ナシなのか…、……なんなのか…。
グルグルと頭の中を、取り留めも無い考えが回る。腕の中、寝息を立てるイツキがぎゅっと抱き付いて来て…、……林田は覚悟を決める。
けれど、目を覚ましたイツキが言った言葉は
あまりに素っ気なく、身も蓋も無い、つっけんどんなものだった。