2020年01月03日
番外「どこかのお正月」
真夜中。黒川が部屋に戻る。
日付が変わって、年が明けたところ。
一人ベッドで眠っていたイツキは、息苦しさで目が覚める。
常夜灯の薄明り。自分の上には黒川がいて、唇を塞がれていた。
「………おかえりなさい、マサヤ。……終わったの?」
「……いや。………また、行く…。ちょっと、抜けて来ただけだ」
「……西崎さんも、……元気だね。……勝ってる?」
「…俺がな」
年末年始。西崎組では総出の麻雀大会が行われていた。付き合いで参加していた黒川は一人勝ち。……そうなると逆に、抜けるに抜けられなくなる。
適当に理由を付けて、とりあえず、小休憩。
補充とばかりにイツキを抱き寄せるが、温もりに、うっかり寝落ちしそうになる。
「…お前も、来いよ…」
「…やだよ。みんな、煙草、すごいんだもん。…髪の毛、臭くなっちゃう」
「そのまま明日は初詣だ…」
「…だぁめ。……明日は俺……」
言葉の途中で黒川は寝息を立てる。イツキが黒川の頭をぺちぺち叩くと辛うじて目を開け「……30分したら、起こせ」と言う。
イツキは呆れたように溜息を付いて、それから、律儀に30分のタイマーをセットして、黒川の肩に毛布をかけてやる。
黒川のまぶたにキスをする。
そして、自分も一緒に毛布に潜る。
結局そのまま朝になるまで、二人、眠ってしまった。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
年明け、まだいつも通りの更新とは行きませんが
短いお話ぽろぽろ書きながら、のんびり始めたいと思います。
イツキと黒川。ちょっとずつ変わって行く二人を
どうか見守ってやって下さい♪♪
2020年01月06日
祭小話・1
先日のフェスタで書ききれなかった(書き忘れた)短いお話
ミツオが会場にやって来たのは、フェスタが始まってすぐの事。
午後からは自分の仕事もありゆっくりは出来ないが、それでも、関りがあるイベントなのだし挨拶はしておきたい。
「お疲れさ……」
お茶と簡単につまめるものを袋に入れブースの前に立つ…が、すぐに人垣に押されてしまう。
ただでさえオープン直後は人が多く、仕事も不慣れで大わらわで…、ハーバルの面々はミツオの存在に気付いたものの、ぺこりと頭を下げるのが精一杯。
「……ああ、このユーカリの方はサンプル無いんです。そうです、そうです、ネットに出ている商品と同じです。…え?クリームじゃなくてオイルですか?……えっと…」
イツキもミカも忙しそうだ。
ミツオは諦めて、ブースの奥で段ボールを開いていた社長に手土産の袋を渡し、その場を離れて行った。
賑やかな会場はまさにお祭り状態で、大変ではあるものの、楽しそうだ。
こんなことなら自分も、自分の仕事を休んででも参加すれば良かったと、ミツオは少し後悔した。
まとまった休憩時間は取れないが、途中途中、少し抜ける。
バックヤードに引っ込んだイツキは手提げ袋の在庫を確認しながら、ミツオが持って来てくれたおにぎりを食べた。
味は、からし明太子だった。
昼過ぎ、落ち着いた感じの綺麗な女性がブースにやって来る。
一通り商品を眺め、イツキに、水仕事をするのに良いクリームを探しているのだと言う。
「…でも、あまり匂いのキツクないものが欲しいの。お食事を提供したりするのに、障りになると困るので…」
「ではこちらのバームはどうですか?柑橘の匂いはあるんですけど…使うの少量で…、手の平で温めて、薄く伸ばして塗り込むんです…」
イツキはサンプルを開け、女性に勧める。
飲食店で働いているのだろうか…、どことなく見知った雰囲気…、ホステスさんかも知れないとイツキは思う。
2020年01月08日
祭小話・2
買い物を終えた女性はハーバルのブースを離れ、イベント会場の端にあるベンチに向かう。
そこで待っていた連れの男性に自慢げに紙袋を見せ、購入した商品の説明をする。
「…おススメのバームが凄く良くて。塗り込んでいる時はふんわり香って、でもすぐに馴染んで、匂いも消えて…、あとはサラサラなの。ふふ、3本も買っちゃったわ…」
「そうですか。……で?…どんな様子でしたか、彼?」
「……えっ」
言われて、女性は、買い物をするために来たのではなく…、ブースに立つイツキの様子を見て来て欲しいと、
……ちょっとした知り合いの子が働いているのだが、自分が買い物に立ち寄るには不自然だからと……、
そう頼まれた事を思い出す。
女性は照れ臭そうにふふと笑い、男性も、柔らかな笑みを浮かべる。
「綺麗な子ね。すごく熱心に勧めてくれて…いい子ね。お肌もスベスベでね。……ふふ。
若い女の子の店員さんだと、キラキラ過ぎて…ちょっと引いちゃうこともあるのだけど…、あの子だと素直に聞けるわ。……いいわねぇ…」
女性の高評価に、男性は少し驚き、それから嬉しそうに頷く。
こんな場所で女性相手に販売の仕事など務まるのかと心配していたが、取り越し苦労だったようだ。
「……ありがとうございます、カオルさん。今日は一緒に来て頂けて助かりました」
「わたしの方こそ、一ノ宮さんとお出掛けが出来て、嬉しかったですわ」
そして二人は会場を出て行った。
「BAR KAORU」の女性とお礼がてら軽く食事をし、一ノ宮が事務所に入ったのは夕方すぎ。それから少しして、黒川も事務所に来る。
不機嫌そうに見えるのは寝起きのためか、他に理由があるのか。
『イツキくん、仕事、頑張ってるようですよ』
と話してやりたい所だが、変に焚きつけて、会いに行かれても困るだろうと…、口をつぐむ。
「………何を笑っているんだ、一ノ宮」
「…えっ、…いえいえ…」
話をするのはまた今度…と、一ノ宮は素知らぬ顔で、自分の仕事に取り掛かるのだった。
2020年01月09日
祭小話・3
イツキからのメールに素っ気ない返事をした黒川は、イツキの事をまったく心配していない。
訳ではないのだが、それは周りにも本人にも、どう判断して良いのか解らないほど希薄で。
それでも、時折ケータイを開いては、…ふん、と鼻息を鳴らす様子を見ると
まあ、気にはなっているのだろうと、思う。
事務所で黒川と一ノ宮が面倒な書類を片付けている間、イツキはオーガニックワインに口をつけながら、充電の切れたケータイを眺め、途方に暮れていた。
「………あの、馬鹿。……連絡も寄越さないで…。……どこかで遊び呆けているんじゃないだろうな……」
仕事が一段落した所で、黒川と一ノ宮は缶ビールを開ける。
黒川は小さく愚痴を零すと、一ノ宮は笑う。
「忙しく働いて、疲れているのでしょう。…真面目に頑張っていますよ、イツキくん」
まるで今、見て来たかのような口調に、黒川は怪訝な顔で一ノ宮を見るのだった。
ミカは、林田に好意を持っていた。
歳はミカの方が少し上。
林田は2,3年前からハーバルに出入りするようになった商社の担当者。
ミカはぱっと見が派手で遊びにも慣れている様子だが…、実際は、恋愛に奥手なところもあって…
なかなか、あと一歩、先に進む事が出来ないようだった。
オーガニックワインのレストランを出て、イツキは一人タクシーで、社長夫妻の待つ旅館へ向かう。
ミカと林田は宿泊先が別だったが、方向が一緒だったので、とりあえず同じタクシーに乗る。
「………もう一軒、行きません?……ちょっとだけ…」
そう誘ったのはミカの方からだった。
祭小話・4
慣れない都会で一日働きミカも林田もクタクタだったが……どこか気が昂り、落ち着かないカンジ。
その上、アルコールも入り、テンションは上がる一方。
酒の勢いのままミカは林田に抱き付き、「あたし、林田さん、好きなんですっ」と告白し、林田は、普通の女の子の可愛さに、普通の男子の生理現象を起こし…
そのまま一夜を共にしてしまう。
朝は若干寝坊し、お互いの状況を再確認しないまま、慌てて二日目のフェスタへ出かけて行った。
ミカは、……酒の力を借りたものの、…ようやく思いが通じ合ったと…喜び、
林田は、……意外と節操のない自分の下半身を反省し、…自分は本当は誰が一番好きなのかと…、今更ながら考えていた。
事務所での仕事を終わらせ、黒川は一人で外に出る。
今日の一ノ宮は少し煩かった。もう少しイツキの心配をした方が良い、だの、大切にしたいのならそれなりの扱いをしろ、だの。
「クソ。十分だろう、お釣りが出る。……第一、連絡を寄越さないのはアイツの方だ。……知るかよ……」
悪態を付き、鼻息を鳴らし、一応ケータイを確認し、もう一度、深く息を付く。
黒川はイツキを心配していない、訳では、ないのだ。
2020年01月10日
祭小話・5
笠原は、黒川が嫌いだった。
嶋本組でさらに上を目指すには、若頭の円城寺が邪魔で
何か弱みの一つにでもなればと洗ったのが、円城寺の親戚筋にあたる、黒川で。
シノギはほぼヤクザと同じなのに、表向きは一般企業を装っているところや
そのくせ、配下に新宿有数の西崎組を控え、名目トップに立っているところや
若頭の円城寺の信頼も厚く、さらに他の親文衆とも繋がりが太く、それをひけらかす訳でもなく、けれど自信満々の風体や…
若い、キレイな男娼を抱えている。
その全てが、気に入らなかった。
「………カシラ。動きがありました。……イツキが、新宿に戻ったようです」
黒川の近辺を張っていた手下からそう連絡を受けて、飛び起きる。
これでようやく、事が起こせる、と、笠原はニヤリと笑った。
つい、うっかり、新宿に戻ったイツキは
フェスタ一日目の緊張も、疲れも、怒られるのではないかという黒川への恐怖も何も、
一瞬で、消えて、流れて
黒川に抱かれていた。
いつも、いつも、何度も思うのだけど、………引き合う力が強すぎる、……ような気がする。
これが正解なのだと、世界の全てから吹聴され、自分達では納得できないところで、二人、重なってしまう。
「………あっっ」
声を上げて、思わず口を噤み、それでもすぐにここが、薄い壁に囲まれた安アパートの一室ではないと思い出す。
それならば、もっと、欲しがっても良いのではないかと……、イツキは腰を浮かせて、誘う目つきで黒川を見上げるのだった。
2020年01月14日
祭小話・6
『イツキは、ウワバミだ』は、黒川の口癖だった。
何でものみ込むデカい蛇。大酒飲みの俗語でもあるのだがとにかく、手当たり次第に丸呑みしていく様子が
イツキの、貪欲に男を咥える姿と、被るらしい。
潤滑剤を塗った指は、するすると中に入る。突き当りが無いのが、困る。
痛みは無いのか、あってもそれが良いのか、イツキは甘ったるい鼻息を鳴らして身をくねらせる。
もの言いたげに見上げる目。
こんなものでは足りないと、拗ねる様に唇を尖らせる。
焦らせるつもりが、ただただ、煽られる。
こっちのペースもタイミングもお構いなし。欲しがり過ぎて、すべてを、丸呑みにしてしまう。
一体、どう仕込めば、こんなカラダになるんだよ……と、黒川は内心、思っていた。
フェスタ二日目の朝。
音が出ない設定のアラームが静かに震え、イツキは目を覚ます。
隣りには黒川が寝ていて、イツキは、次のアラームが鳴るまでの間その寝顔を見つめる。
愛しい、という感じではないのだけど。
ここが、自分の場所、という感じはする。
それは多分、お互いが思っていることで
黒川も目が覚めては、きっと、引き止められてしまう。
「……行って来ます。……またね、マサヤ…」
キスをするように黒川の額に、顔を近づけ、そう呟いて、イツキはベッドから起き上がる。
とりあえず、フェスタ。自分に与えられた自分の仕事をしっかりこなそうと、イツキは思った。
2020年01月15日
祭小話・7
松田は地元では有名な任侠団体の二代目だった。
もっとも、跡目を継ぐのはまだまだ先。今は修行中、勉強中と公言し、割と自由に動ける立場だった。
「地域密着の優良ヤクザ」と自分で言うだけあって、地元の祭りや企業のイベントには顔を出し、古くからの付き合いを大切にしていた。
「オーガニックフェスタ」にも、その辺りの繋がりで、世話役として名を連ねていた。
フェスタ二日目。会場に姿を現した松田は、一応、仕事らしく、そこいらを見て回る。
「お茶の吉田」「絹塚和装」そして「ハーバル」
ハーバルのブースではイツキが大真面目な顔で、女性客相手に商品の説明をしていて、まるで普通のコのようだと、松田は笑う。
松田は、明るい部屋で、騎乗位で抱くのが好きだった。
見上げるイツキは恥ずかしそうに顔を背けながら、そのくせ、ぴたりと密着した腰を前後に振った。
掴んでいた腕をぐいと引きと、イツキはバランスを崩し、松田の胸に倒れ込む。
それでまた中の様子が変わるのか「………んっ…」と極まった声を洩らし、そのまま動かなくなる。
身の奥に広がる快楽を追っているのか、その顔は酷く、いやらしかった。
「…お疲れ様です、松田さん。ここ閉会したら別のトコで打ち上げあるんで、…そっちも来て下さいね」
「……あ、…ああ」
林田にそう言われ、松田は生返事を返す。
松田がいやにイツキを見つめていたことに、林田は、気が付いていた。
2020年01月16日
祭小話・8
いい加減、笠原も、自分が分の無い争いに乗り騒動を長引かせているのだと…自覚はあった。
それでも引くに引けないのは、黒川との軋轢と、イツキへの、未練だった。
二度ほど抱いた少年は、想像以上に具合が良く、身体の相性も良いように思えた。
しかも、身辺を調べてみれば、ホレた腫れたで黒川の傍にいる訳ではないらしい。ならば、自分にも目があるのではないか…と。
もう少し、揺さぶりを掛けたいトコロだが、警戒した黒川がイツキの身を隠し、接触もままならない。
コトは、捩じれるばかり。このままでは、埒が明かない。
『…イツキくんは、黒川の事、愛してるの?…だから、一緒にいるの?
……それなら仕方ないな。俺は、諦めるよ』
そう、言えてしまえば、事態はもっと短く簡単に、終わるはずだった。
黒川の事務所では
黒川と一ノ宮、そして松田が
ぬるい茶を啜りながら、あれこれ、情報を集め精査している所だった。
一ノ宮は、松田と対面してから数分の間に、松田の素性を調べたらしく
相応の丁寧な挨拶をし、イツキが世話になったことの礼を言う。
「あんたも物好きだな。こんな揉め事に首を突っ込んで、何の得がある?」
黒川にそう言われ、確かに、と思う。
それでも松田はこの場に妙な魅力を感じ、この先の付き合いに、何らかの得るものがあると……
思ったのか、ただの、暇つぶしか。
2020年01月17日
祭小話・9
少し意地悪をして、からかう位のつもりだった。
イツキを自分のものにする事が本当の目的なら、拉致してすぐに、決して追えない場所に連れ込めば良いのだ。
脅しで語ったように、若い衆に乱暴させ、二度と表に出られない程ぐちゃぐちゃに…、身も心も傷つき壊れ、抵抗の意志すら湧かないほど虐げ
最後に自分に傅かせてもいい。その様子を黒川に見せれば、さぞ滑稽だろう。
けれどそれが目的では無かった。
お喋りを楽しむために回り道をして、「フェリーチェ」に向かう。
喉が張り付く程乾いているイツキに、何か、冷たいものを飲ませてやってもいい。
多少の嫌がらせは、今までの確執にくらべれば、可愛いものだろう。
後は黒川を迎えに来させてもいい。
すべて冗談めかして、この茶番を幕引きにしよう。
誤算だったのは、意外に早くコトが露見し、足が付いてしまった事。
黒川が激怒し、手を挙げた事だった。
「……カシラ。このまま黙って返しちまって良いんですか?……奥に、若い奴ら、控えさせてます、…一気に叩いて潰しちまっても……」
「……いや、いい、いい。……先に手ぇ出したのは俺だからな…。…ハハ。……もう、あいつに関わるのは面倒臭ぇわ……」
獲物を奪い返されたというのに、あっさりと身を引く笠原を、部下たちは訝しんだが
笠原の中で、とうに、祭りは終わっていたのだった。
無理やりタイトル回収…笑
2020年01月18日
祭小話・終
「イツキくん、イツキくん、やだぁ、もう、心配したんだから!」
オーガニックフェスタも終わり、地元に戻り、
明けて翌日、ハーバルの作業場で皆で顔を合わせる。
姿を消したその日の内に、イツキの無事は松田から連絡を受けて解っていたが
やはり実際に顔を見ないと安心出来なかったようで、ミカは思わず、イツキに抱き付く。
「………ごめんなさい、ミカさん。…みなさん…」
「まあ、大丈夫って聞いていたからね。でも、駄目だよ、急にいなくなっちゃうなんて」
「ごめんなさい。……バッタリ…、知り合いに出くわして…、……つい」
老社長に窘められ、イツキは申し訳なさそうに項垂れる。
実際、イツキの身に起きたことはもっと危機感のある大事件だったのだが、それはここでは関係のない話。
横にいた小森が、やれやれといった風に肩をすぼめ、口を挟む。
「…ま、仕方ないわねぇ。向こうに友達もいるでしょうし、…若いしね。
…ところでミカちゃん、いつまでイツキくんにくっついてる気よ…、って…、あなた、泣いてるの?」
「……だってぇ…」
ミカはイツキに抱き付いたまま、ぽろぽろと安堵の涙を流していた。
これでいてミカは、心底、イツキの心配をしていたのだ。
「ごめん、ごめん」とイツキは謝り、ミカは涙目を擦り、照れ笑いを浮かべる。
端でその様子を見ていた林田は、……もしかして初めてかも知れない……ミカを可愛いと思った。
「ハイ。フェスタも無事終わって、追加の注文もバンバン入っています。皆、ここからまた忙しくなるからね、よろしくね!」
社長夫人に激を飛ばされ、みな、「はーい」と返事をして、それぞれの仕事に取り掛かるのだった。
祭おわり
2020年01月20日
イツキと松田・1
フェスタから数日後。
イツキはちょっとした料理屋で松田と待ち合わせていた。
予約された座敷に入ると、すでに、松田の姿があって、イツキは深々と頭を下げる。
「……本当に、すみません。……面倒ばっかり……」
「いやいや、大したコトじゃないし。いいから座って、座って」
松田は笑って、イツキに向かいの席を勧め、イツキはもう一度頭を下げて、着席する。
すぐに料理と酒が運ばれて、テーブルの上は賑やかになる。鍋はてっちりだろうか、卓上コンロに火が付けられる。
「ビール?日本酒?……最初はとりあえずビールか」
松田は瓶ビールを持ってイツキのグラスに注ぐ。そして返しが待ちきれないといった風に、自分のグラスには自分で注ぎ、乾杯、とグラスを掲げる。
一杯目を一気に飲み干し、愉快そうに笑い声を上げた。
また、イツキにトラブルが起きていた。
元はと言えば、イツキが蒔いた種なのだけど。
以前、林田と一緒に、接待の席で、調子に乗って相手先に良い顔をし過ぎて
『次は泊まりで温泉にでも』などと、口約束をしてしまった。
フェスタが終わってからと適当に流していたのだけど、相手はキッチリ覚えていたらしく、本当に連絡が来てしまったのだ。
当然、そんなものに行くはずもなく…、かと言って林田から正面切って断りを入れるのも難しくて…、……松田に相談してみたのだった。
「大丈夫、すぐ、手、引っ込めたよ。……俺のオンナだって、知ってるのか?って言ったら、すぐね。……ハハ、冗談、冗談」
一体、どこまでが冗談なのだろうとイツキは思いながら、スミマセンと、もう一度小さく頭を下げた。
2020年01月22日
イツキと松田・2
「…あの時、マサヤと松田さんが一緒にいて、びっくりしました。……でも、松田さんが動いてくれたから、コトが早く収まったんですよね。本当に、ありがとうございました」
少し酒が進んでから、改めてイツキはそう言って頭を下げる。
フェスタでの一件は、実に松田のお手柄だった。
「まあ、黒川さんの連絡先も聞いていたしね。知らん仲でも無いし。フフ。
恩を売っておいて損はないだろ?その内、何か見返りがあるかも知れないし」
松田はニヤリと笑って、イツキに、新しい日本酒を注ぐ。
「こうやってイツキくんと、さらにお近付きになれたのも、いいね」
「…………え、………でも、あの……」
もしやまた、身体の関係を迫って来るのではないかと、イツキは少し警戒する。
……こんな座敷で二人きり、すでに酒に酔い赤い顔。俯いて視線を逸らせて、無意識にシャツの袷をきゅっと握るなど……
……誘っているのか違うのか、相変わらず解りずらい。
もっとも、今日に限っては、松田にその気はないようだ。
ただ、酒が美味しいらしく、上機嫌で杯を重ねる。
いい具合に仕上がった鍋を、小皿に取り分け、イツキに渡す。
「…でもさぁ、これからどうするの?…トラブル解決って事は、イツキくん、向こうに戻るのかい? ああ、ネギ、熱いよ?」
「……それは、……まだ、……解らないです……、……熱っう」
一口噛んだネギの中身が口の中に飛び込んで来て、イツキは思わず叫び
それを見て松田は、また、笑った。
2020年01月23日
イツキと松田・3
「…まだ本当に…ごたごたが終わったのか解らないですけど…、落ち着くようなら戻っても良いって…言われてます。……でも…」
「……でも?」
小皿を手に持ち、箸で具材を摘み、そのままの状態でイツキは少し…物思いに耽る。
濁す言葉に、松田は水を向ける。
「……何?……まだ何か、問題があるの?」
「…問題って言うか…、俺…、結構、ここの生活も慣れてきたし…、仕事も楽しいし…、……それが無くなっちゃうのも…、寂しいなって……」
そう言って、口を結んで、小さく溜息を付く。
確かに。
たった一人、見知らぬ土地に放り出されて、最初は不安で不安で……、一刻も早く元に戻れることを願っていたというのに…
いつの間にか仕事に馴染み、働く事の喜びや遣り甲斐なども感じ、人から感謝され、頼りにされると……、どうにも…
ここを離れがたい。イツキの人生の中では得られなかった、ごく当たり前の幸せが、ここにはあるのだ。
「…住めば都ってヤツだよな。良いんじゃない?こっちにいるのも」
「………ね。……ちょっと、考えちゃいます…」
考えはするが…、もし新宿に戻れる状況になったのなら、戻らなければいけないのだろう。
新宿が、黒川の元が、恋しくない訳ではない。
それでもやはり割り切れない思いが胸の奥でくすぶり、それを押し流すように、イツキはグラスの冷酒をくっと飲み干す。
2020年01月24日
イツキと松田・4
酷いけれど馴染みの深い黒川か、新しい生活、新しい仕事、新しい自分のココか。
悩み憂い酒を飲むイツキも、色っぽいなと、松田はニヤニヤ笑う。
最初に、露天風呂で出会った時から変わらず思うのは
オモシロイ。見ていて飽きないイツキの仕草だった。
気になる加減が絶妙で、触り過ぎず、かといって満足できるほど迫ってくることもなく。
一度抱いても、足りず。面倒なトラブルを背負い込んでも、それすら……魅力で。
「……でも、それはそれで…、駄目って言うんだろうなぁ…マサヤ」
「イツキくん、溺愛されてるもんなぁ」
「……溺愛じゃないです。束縛です。……マサヤは俺を、自分のモノにしておきたいだけです」
「……それは…」
『結果的には一緒デショ?』と松田が続けようとした時、イツキのポケットのケータイが鳴る。
イツキはあからさまにギョっとした顔をして、ケータイを取り出し、ディスプレイの名前を見て…やっぱりという風に鼻で大きく息をつく。
松田もピンと来たのだろう。「……黒川さん?……出ていいよ?」と言うと、イツキはぺこりとお辞儀をして、気持ち、身を反らせて電話に出る。
『……ハハハ。…イツキくん、盗聴器でも仕掛けられてんじゃない?』
と、松田は心の中で思ったが、もしかしたら声に出ていたかもしれない。
「……マサヤ。……ん、ご飯食べてたとこ。……あ、そうなんだ、……おつかれさま。
………え、……少し、飲んでる。………え、……えーと………」
イツキは黒川に何か聞かれたのか、ちらりと松田を見て…言葉を濁す。
束縛男のことだ。どうせ誰と一緒だとか聞かれているのだろうと、松田は察し、イツキに、電話を貸してごらんという風に手を伸ばす。