2020年02月01日
優待券
「ねえねえイツキくん。土曜日、ヒマ? 「湯〜らんど極楽」の優待券があるんだけど、行かない? ランチ無料券も付いてるんだよ」
金曜日、仕事終わりにミカがイツキを誘う。
付き合い始めたばかりの彼氏、林田は、仕事が忙しいのだと言う。
けれど、土曜日は、イツキにも大事な用事がある。
「……ごめんなさい、俺、明日はちょっと…駄目です…」
「えー?なんで、なんで?……デェト!?」
「いやっ………えーと…、……人と会うので…」
「やっぱりデートじゃん!…誰と?」
グイグイと来るミカに、イツキは適当に笑って誤魔化して…それでも結局、東京から知り合いが来ると、話す。
それを聞いたミカは何かを察したのかニコニコ笑って…
「じゃあ、コレ、イツキくんにあげるよ!……彼氏と行っておいで!」
そう言って、ランチ付き優待券を二枚、イツキの手に握らせるのだった。
「…………行かないぞ」
その夜、遅くにイツキの部屋にやって来た黒川は、イツキの話を聞いてすぐに、つっけんどんに答える。
もっともイツキも、黒川が行くはずもないと思っていたが、せっかっくのミカの好意を無碍にするのも、少し申し訳ないと思う。
優待券を手に持ち、どうしたものかと…ひらひらさせていると
「松田とでも行けばいいだろう」
と、心にもない事を言ってみせるのだった。
2020年02月03日
食卓
とりあえず、極楽行の優待券は引き出しにしまって、仕切り直す。
テーブルに、総菜のパックとサラダと漬物、ビールを並べる。
テレビの前の新しいソファは、二人で座るには窮屈なので、イツキはその脇に座布団を置きペタリと座る。
黒川とイツキの、いつもの定位置。こうやっていると、やはり、落ち着く。
「…サラダは、俺が作ったんだ。…上のマカロニのトコは、買ってきたやつだけど…。ドレッシングは…これが美味しくて…、……ごまわさび…の…」
意外ときちんとした食事を用意するイツキを、黒川は、気付かれないように横目で眺める。
一人で暮らし始めて、少し、何か変わった気がする。
「……ディスカウントの酒屋さんを見つけて…、ふふ、……そこ、年齢確認、されないんだよね…。…まあ、俺ももう、普通に買っても大丈夫な感じだけど……」
冷えたビールをグラスに注いで、お疲れ様と、カチンと音を鳴らせて、グラスに口をつける。
イツキは半分ほど一気に飲み、よほど染みたのかぎゅっと目を閉じ、満足そうにふうと息を付く。
ソファに座る黒川の足に、イツキは身体を寄せ、もたれ掛かる。
テレビは地方ローカルの、見た事も無い情報番組が流れている。
「……テレビで、……近所のスーパーの特売のお知らせとか、するんだよ」
「………クソ田舎だな………」
「…役に立つけどね。……明日は玉子が半額です、とか」
そう言って笑うイツキの横顔に、黒川は何故か少し、……腹を立てていた。
2020年02月06日
身勝手
『そろそろ、新宿に帰りたい』
と言えば、そうしてやる気はあったのだが
イツキはなかなか、そんな雰囲気すら匂わせない。
すっかりこの都落ちに馴染み、ずっとここで暮らす気ではなかろうかと
黒川は少々、いぶかしむ。
そんな黒川の様子に気付くこともなく、イツキはサラダを小皿に取り分け、総菜を摘み、どこそこの肉屋のコロッケが美味い等、他愛もない話をする。
「あ、ごぼうのお漬物があるよ、食べる?……道の駅で仲良くしてるおばあちゃんに貰ったんだ」
「……いや、いい…」
「今日はタクシーで来たんだ?…お金、掛かるでしょ?……新幹線の方が楽なのかな」
「…どうだろうな。面倒には変わりはないがな。こんな辺鄙な場所でよく暮らせるもんだ」
「……マサヤ…」
イツキはテーブルに箸を置いて、隣の、黒川の顔を見上げる。
いつもニコニコ愛想が良い男、ではない事は百も承知だが、それにしても…今日は不愛想過ぎる。
「…マサヤ、……怒ってる?」
「……何にだよ?……身に覚えでもあるのか?」
「…無いけど。……松田さんのこととか……」
黒川はビールに口を付けながら、冷ややかな目を、イツキに向ける。
松田のことは、問題ではない。
けれど、その件で怒られるのではないかとイツキが気に掛けている時点で、気に入らない。
自覚はないけれど、黒川は身勝手な男だ。
自分が、イツキをこんなへき地に追いやったというのに、そこで落ち着いて生活している…新しいオトコまで作って…、…そんな状況が許せない。
とりあえず黒川は、ふんと、大きく鼻息を付いて、残りのビールを流し込んだ。
物音
未だ段ボールが山積みの和室。客が来たところでもう一組布団を敷く場所もない。
背中が痛くなるような薄い寝具。まるで駆け出しの、貧乏生活の頃のよう。
狭いだ、汚いだ、何だと…黒川は文句ばかりを並べる。
イツキは、では何故黒川はここに来たのかと、疑問に思う。
抱く、手は、乱暴で、やはり何かに怒っているような気がする。
それに気を取られていると、あっという間に身体が融ける。今日の愛撫はいつもより激しい。
「……マサヤ?………待って、待って…、待って…?」
クリームを、…手元に置いてあったハーバルのクリームだったが…、べったりと塗り込まれてそのまま、ずるりと、黒川の手が入ってくる。
身体が串刺しになる。裏返され、ザラザラと擦られる。掻き回される。
何度、されても…気持ち悪い異物感。それが、堪え切れないほど……良くて、良くて、
どれだけ口を手で塞いでも声が漏れる。声だけでも逃がさないと、もう、どうにかなってしまう。
「………相変わらず、………ヒドイ身体だな。………欲しがり過ぎる」
「……ひっ…、………駄目、…やだやだ、マサヤ……」
小刻みに揺らされ、ギリギリまで抜かれて…、また刺されて、丁度いい加減で焦らされる。
イツキの身体の隅から隅までを知っている黒川は、どうすればイツキが一番イイ声で啼くのかを知っている。
「………やっ………あああ……」
一際甲高く鳴いて、そのついでに足が壁に当たり、積んだ段ボールがいくつか崩れる。
それは真夜中にしては少々、ウルサイ物音だった。
2020年02月07日
作戦
「……信じられないよ、マサヤ。……絶対、わざとなんでしょ?」
「お前がいい気になって騒ぎまくるからだろう?」
「…だって、マサヤが……、……昨日は…すごい…から……」
イツキはもごもごと口籠り、何かを思い出したのか、恥ずかしそうに俯く。
顔が赤いのは、風呂上りのためだけではないようだ。
結局、翌日の昼過ぎ、二人は「湯〜らんど極楽」を訪れていた。
優待券を無駄にしたくなかった…訳ではない。ただ、広い風呂に入りたかった。アパートの風呂では足を伸ばすことも出来ない。
部屋からケータイでタクシーを呼んで、頃合に、表に出る。
扉を開けた時に、丁度、隣の部屋の住人も部屋から出て来ていて、……イツキの顔を見て、ニヤニヤと笑ったのだ。
直感的に、夕べの声を聞かれた、と思った。
それでなくとも普段からテレビの音が洩れる程なのだ。おそらく、何をしていたかなど、丸わかりだったろう。
「………隣の人…、ちょっと苦手なタイプなんだよね…、音楽とかやってるみたいな…、髪の毛金髪で、派手で…、……、人の出入りもあって…賑やかで……。
俺、引っ越そうかな、もっとちゃんとしたトコに。……音が洩れなくて、お風呂もちゃんとあるトコ…」
「………まだこのクソ田舎にいる気なのかよ?…イツキ」
休憩所の大広間で、ビールを飲みながら、軽く、そう言う。
激しい行為がまさか……イツキが部屋に居づらくするための作戦……では、ないとは……思うのだけど……
そう思えてしまうほど、黒川は楽し気に、イツキを馬鹿にしたように笑うのだった。
2020年02月08日
意地悪
日曜日には、黒川は新宿に戻っていた。
事務所にいる姿を見て、一ノ宮が驚く。
「…イツキくんの所に行かれていたのでしょう?…ずい分早い、お帰りですね」
「……そう、やる事もなくてな。……こっちの仕事も溜まっているし……」
書類をぱらぱらやりながら、そう言う。けれど決して、仕事をしたくて帰って来た訳ではないだろう。
本当は
イツキを連れ戻すために、会いに行ったのだと思っていた。
まだ確定ではないにしろ、笠原は先日の一件でこちらから手を引いており、差し当たっての危険は無いと思われた。
危険が無いのなら、ここを離れている理由はない。
「……イツキくんは……」
『まだ、戻さないのですか?』と言いかけて、言葉を止める。
おそらく『戻れ』とも言わず、『戻りたい』とも言われなかったのだと察する。
黒川は相変わらず素直ではないし、イツキは…
向こうでの暮らしが、楽しいのだろう。……一ノ宮は「フェスタ」で仕事をしていたイツキを思い出す。
「……クソ田舎で呑気に腑抜けてるぜ。……少し、締めた方がいいかもなぁ……」
黒川は仕事の手も止めず、そんな事を言うのだった。
2020年02月10日
直球
「……なに、簡単だろう?……所詮、あいつ一人じゃないも出来ないと思い知らせればいい。誰の庇護を得て生きているのか。
……向こうで、ちょいと怖い目に遭わせるか?……松田は…、使えんか。いい具合に取り入っているからなぁ……」
黒川と一ノ宮は仕事が終わると、いつもの、焼き鳥屋に。
カウンターしかない細長い店内の、奥の席。
ビール、ビール、からの日本酒で、今日は少々酒が進み、口も回る。
もっとも一ノ宮には、黒川のそれが、単なる愚痴で、半分は冗談であることは解っていた。
「……まったく。……どこに行ってもすぐに男を作る。そんなにヤルのが好きなら、『仕事』に出すかな。……笠原から守ってやっても、意味もないな、あの馬鹿は……」
「そうですね。渡辺建設の社長から声が掛かっていますからね。少し働いて貰うのも良いでしょう。……向こうには…ハーバルと言いましたか…、若いのを2,3人連れてご挨拶にでも行けばよろしい。イツキくんの素性を知れば、向こうから手離しますよ」
黒川の言葉に乗り、一ノ宮もそんな事を言う。小さく鼻で笑い、冷や酒のグラスに口を付ける様子は、冗談を言っているようには見えず
驚くのは、黒川の方だった。
「………は。………それも、いいな……」
「……それか…、………ちゃんと、話すべきですね」
「……何をだよ」
一ノ宮は台上に置かれていた一升瓶を取り、自分のグラスと黒川のグラスに注ぐ。
どこか一ノ宮が怒っている風に感じるのは、おそらく、気のせいではないと思う。
イツキに対して真摯に向き合えない黒川に業を煮やすのは、もう何度目の事だろう。
「…当座の危険は無くなったのだから、帰って来い、と。…俺の手元に戻れと。
他所で男を作らず、戻って来て欲しいと。
このまま向こうに居着かれては、困るのは、あなたでしょう?」
優しく曖昧に、オブラートに包んだような言い方も、もう、面倒になっていた。
2020年02月12日
一週間・1
「………俺、……そっちに戻ってもいいのかな…、……もう、……いい?」
黒川がイツキの元を訪れた、その一週間後。土曜日。
事は意外と簡単に、動き出した。
お互い、何かを伺っていたのか連絡をしていなかったのだが…、久しぶりに繋がった電話で
イツキが、ぽつりと、呟く。
「………マサヤんトコ。……戻ってもいいのかな?」
黒川は、どうした風の吹き回しかと、一瞬……思う。
先日、酒の席で一ノ宮が話したような事は…、……向こうに居辛くなるような本格的な嫌がらせは……、まだしていない筈だ。
「………そうだな。……笠原ももう、大人しくなったしな…。……そろそろ、いいかもな…」
「…………ん」
「……何だよ、…そっちのオシゴトが楽しいんじゃなかったのかよ?」
「……んー、そうなんだけど…。……やっぱり、そっちが、いいなぁ…って…」
イツキは少し口籠りながら、そう言う。
それは「黒川の傍に居たい」と言い出す事が、恥ずかしいのと、もう一つ
実は、黒川が知らない、事情があった。
2020年02月13日
一週間・2
一週間前。
つまりは、黒川がイツキの元を訪れた週末明け。
イツキは普通にハーバルに出社し、真面目に仕事をこなし、一段落ついた頃
社長に、チョイチョイと手招きされる。
「……はい?」
「ちょっと、話があるんだけど」
奥の部屋で二人きり、改まって切り出された話は……
フェスタが終わり、ありがたい事に注文が増え、仕事量が増えた事。
それに伴い、新たに社員を入れる予定がある事。
「……知り合いのトコが、こっちに何人か回してくれるって言うんだけど。…イツキくん、この先、どうする?
いやいやいや、居て貰いたいのは勿論だよ?……でも、最初の話だと、数か月って言ってたじゃない?……どうなのかな…って。
それによって、補充する人員も、変わって来るからさ……」
言われて、イツキも改めて、今後の事を考える。
確かに、ここの仕事は好きだけれど……、このままずっと、ここに居るものなのか……
「まあ、すぐに返事ってことも無いから。……ちょっと考えておいてくれる?」
言われて、イツキは神妙な面持ちで、頷いた。
「……えっ、辞めちゃうとか無いよねぇ?……イツキくん、ずっとココ、いるよねぇ?」
その日の仕事が終わり、ミカと駅前のとんかつ屋で夕食をとる。後から、林田も来るらしい。
今後の仕事をどうしようかとイツキが相談すると、当然、ミカは引き止めにかかる。
2020年02月14日
一週間・3
「イツキくん、この仕事、向いてると思うよ。フェスタでお客さんと話してるの見て、思ったもん。……細かい作業だって、嫌じゃないしさー」
「ん。……仕事は、結構、好き」
「じゃあ、いいじゃん。ずっと、いてよー」
豚ロース上とんかつ定食をつまみにビールを飲みながら、ミカはイツキを引き止める。
途中、林田が合流し、ミカの隣りに座り、同じ定食を注文する。
ミカと林田の付き合いは、良い感じに続いているらしい。
「…ああ、人、増やす話ね、聞いてるよ。…そうだよね、イツキくんがずっといてくれるなら、計画も変わってくるよね」
「…でも、そう言われちゃうと…、……そこまで俺、ちゃんと仕事、出来るかなって…」
イツキは小鉢の切り干し大根を食べる手を止め、少し、考え込む。
「………彼氏は?………何か、話したの?」
黒川を知る林田は、覗き込むようにイツキを見る。イツキはふるふると首を横に振る。
週末に会った黒川は、帰って来いとも、仕事はどうだ、とも…何も言わず。ただセックスするだけで、終わってしまった。
「……なんか、良く解らなくて…。聞いても、勝手にしろって言われそうで…」
「イツキくん、もうその彼氏、別れちゃえば?……で、こっちで新しい人、見付ければいいじゃん。………松田さんとか、どう!?」
ミカは冗談で適当な事を言うのだけど、意外と核心を付いていて、イツキは笑った。
2020年02月16日
一週間・4
2,3日、仕事をしながら、今後の事を考える。
ハーバルは好きだ。けれど、いつまでココに居られるかと言ったら…解らない。
今はまだ、半分、お手伝い気分で働いているところもあるが、長く勤めるとなったら、そうもいかないだろう。
そこまで、自分が真面目に仕事が出来るのか…、不安もある。
勿論、住み慣れた新宿に戻りたい。黒川も懐かしい。笠原は大人しくなったと聞いた。
…多少の危険は…付き物だろう。嫌な『仕事』もあるかも知れない。
「…………俺、…………どっちが、いい?」
ひとり、つぶやく。
新しい土地で一人、生きて行くのも…いいかも知れない。それでも…、染み付いた自分の習性が……消せるものだろうか…。
アパートの部屋に戻り、台所に立ち、夕食を用意する。
カンカンと外階段を上がる音がする。台所は廊下に面しているので、音がよく聞こえる。
廊下を歩く音。少し重みのある音は隣の住人のものだと、気付いてしまう。
チェーンが付いたキーホルダーなのか、鍵を取り出すときに、ジャラジャラと鳴る。
バタンと、扉が閉まる。少し、壁が揺れる気がする。
もし、このままこの土地に残るのなら、新しい部屋に引っ越したいと、思う。
このまま、この部屋にいたら、いつか……隣の住人と、……何か間違いが起きる気がする。
突然、扉を開け、押し入られたら…どうやって拒もうか、大声をあげようか…。
玄関先で抱かれたらどうしようか。向こうの部屋に連れ込まれても、困る。
身体は大きいのか、筋肉質なのか、手の平は厚いのか、指先は長いのか。
そんな事を考えて、無駄に身体を熱くして、イツキは、自分で自分を笑った。
2020年02月17日
一週間・5
金曜日。仕事が終わってから松田と、食事に行った。
先日の会食のお礼なのだと言うが…、食事をするたびにお返しがあるのなら、今日のお返しも、また次にあるのかも知れない。
「………コレ、ずっと、繰り返ししちゃうんですか?」
イツキがそう言うと、松田は「それもいいね」と軽やかに笑った。
タクシーで乗り付けた郊外の焼肉屋。
松田はイツキに肉をたらふく食わせ、ビールを勧め、途中途中にオモシロイ話を挟み大いに笑わせる。
イツキの儚い警戒心など簡単に吹き飛んでしまうが、意外と、松田はそれ以上イツキに迫って来ない。
黒川の影がチラつくのか、のんびり攻めようという作戦なのか……、意外過ぎて逆にイツキが、気を遣ってしまうほどだった。
もっとも松田は、この状況でも、十分楽しんでいた。
仕事もプライベートも問わず、セックスをする相手には不自由しておらず、取り急ぎ、イツキにそれを求める必要もなかった。
今はただ、イツキを見ているだけで、面白い。
トングで骨付きカルビを持ち上げ、どうやってハサミを入れようかと悪戦苦闘している様子は、次々に男をたぶらかすという「新宿の黒川の情婦」とはかけ離れていて、
本当に同一人物か、どこが繋がっているのか、まるで謎解きか答え合わせをしているようで、興味深かった。
「……松田さん、笑ってますね?……俺がお肉、切るの、下手糞だからですね?
これは…わざとです。骨の周りが一番美味しいって言うでしょ?
…あとで食べる用に、取っておいてるんです!」
大真面目な顔でイツキはそう言って、さらに松田を笑わせるのだった。
2020年02月19日
一週間・6
食事が終わり、また二人でタクシーに乗り込み、帰宅の途に就く。
途中の道沿いに、ラブホテルの看板を見掛ける度に、そこに車が入って行くのではないかと…イツキは…固唾を飲み
何事もなく通り過ぎると、ほっと胸を撫でおろし、松田は何を考えているのだろうと…様子を伺い…
気配に気づいた松田がこちらを見ると、慌てて視線を逸らす。
そんな事を、二度三度、繰り返した。
「じゃあね。今度はお寿司にしよう。また連絡するよ」
イツキのアパートの前で、そう言って、にこやかに手を振り、別れる。
ありがとうございました、とイツキが頭を下げる。そして、本当にそのまま、松田は行ってしまう。
遠ざかるタクシーのテールランプを眺めながら、イツキは、……ある程度はそうなる事を期待していたのだと……、自覚し、反省する。
知ってはいるけど、本当に…、自分はユルイ。嫌、と言いながらも簡単に、流されてしまう。
「………駄目だなぁ…、俺。………フラフラして。…結局、松田さんのコト、…待ってるみたいじゃん。……駄目じゃん…。
……こんなんだったら、逆に…、マサヤが傍にいて、目、光らせてくれてる方が…、いいなぁ……」
自分の節操のなさに溜息を付きながら、イツキは、アパートの外階段を昇って行った。
時間は深夜0時。隣の部屋の住人は、まだ帰宅していないのか、部屋は暗い様子。
自室のドアのカギをポケットから探す。少し手元が覚束ないのは、酔いが回っているためか…。
2020年02月20日
一週間・7
鍵を回し、ドアを開く。
部屋の中は真っ暗。明かりを付ける前に玄関の段差に躓き、持っていた鍵を落とす。
拾おうと身を屈める。
瞬間、後ろからドンと押され、前のめりで倒れ込む。
「………ッ、……、な………に……」
すぐに、背中に圧がかかる。うつ伏せで倒れたイツキの背に、誰かが覆い被さる。
押し入られたと当時に玄関のドアも閉められたか、外廊下の僅かな灯りすら届かない。
「………え、………松田さん?……」
最初は何かの冗談だと思った。松田が、やはり追いかけて来て、何か……と思ったのだが、違った。
必至に身を捩らせると、薄闇の中、男の姿がほんの少しだけ見える。
総柄のシャツ……松田はスーツ姿だった……、ゴツイ手の平は叫ぶイツキの口元を塞ぐ。
顔は見えなかったが、……チラリと、金色の髪の毛が揺れた。
「…………っ……ん………んんっ」
隣りの部屋の住人だと思った。そして、自分は襲われているのだと気付いた。
気付いた時にはすでに逃げ道は無かった。
イツキの口元を塞いだ手はそのまま、何かタオルのようなものを、イツキの口の中に詰め込む。
着ていたジャケットの後ろ襟を引き、背中まで下すと、袖がもたつき腕が動かせなくなる。
緩んだ服の裾から、男の手がするりと入って来る。
素肌に直に触れた手は少し冷たくて、その刺激だけでも、鳥肌が立った。
2020年02月21日
一週間・8
「…んっ…んん………っ…」
くぐもったうめき声をあげ抵抗してみるも、まるで意味はなく。
男はイツキの背に抱きつく格好のまま、シャツの裾から手を差し入れ、イツキの胸を触る。
女のように揉みしだく膨らみがある訳ではないが、小さな突起が指先に引っ掛かる。
コリコリと捏ね回し、爪の先で摘む。うなじの辺りにハアハアと、荒い息が掛かる。
「…………んーっ」
うなじから、耳たぶに、ぬるりとした感触が走る。
唾液が滴る舌で、舐め上げているらしい。
ぞくぞくと寒気がし、身体がびくりと震える。
……感じている、……訳ではないが……、それでも、感じる。
男の手は今度は、イツキの尻を触る。
股の間に腕を差し入れ、擦る。そうかと思えば、自分の腰を当て押しつける。
お互い、まだ服は着ていたが、感触は伝わる。
腰を掴まれグッグッと圧を掛けられると、まるで…挿れられているようで
そう、想像してしまわないように、必至で堪える。
ただの一般人にしては、ずい分と手練れている様子だが、気が動転しているイツキにはそれに気付く余裕もない。
勿論、この男は、ただの一般人ではない。
男は、佐野だった。