2020年05月23日
イツキのカレシ
「……急にお偉いさんに呼ばれて、…連れて行かれちゃったんです」
ユウの説明は若干言葉が足りず、冗談交じりに誇張されたものだったが…
丁度良く、黒川たちの緊張感を煽った。
詳細は解らないが、またトラブルに巻き込まれているのかも知れない。
黒川と一ノ宮は顔を合わせ、顰める。黒川は不機嫌極まれりといった様子で鼻息を鳴らした。
結果、ミカは黒川を連れ、イツキの後を追う。途中、最初にイツキを連れて行ったスーツ男を見付け、会議室まで案内させる。
一ノ宮は車で先に出られてもマズいと、ユウに教えてもらった、施設の外の車用口へと向かった。
「………困るんだよねぇ、関係ない人、中に入れちゃ…。俺が叱られるのに……」
スーツ男はぶつくさ文句を垂れながら、ミカと黒川を案内する。
本来なら部外者を勝手に中に入れてはいけないのだが、『……ウルサイ。さっさとしろ』と黒川に睨まれては、断ることも出来なかった。
ミカは、ちらちら、後ろを歩く黒川を振り返る。
『イツキくんのカレシさんですか?イツキくんのこと心配で、会いに来たんですか?』
と、聞こうと思ったがナカナカ…、そんな隙を与えては貰えなかった。
「……あー、イツキくん。いたいた!」
何人か人の残る社員食堂の先、会議室への扉の前で、イツキを見付けた。
2020年05月24日
人の目
会議室の扉の前に小野寺と、小野寺に腕を掴まれたイツキ。
少し離れて、車の到着を知らせに来たこの施設の長、柳という男。
社員食堂から抜けて来た、黒川とミカ、案内して来たスーツ男。
社員食堂には他にも何人か、人の姿があった。
黒川はイツキと一緒にいる男が小野寺だと解ると、さすがに驚き……ふうと息を一つつく。
小野寺は表向きは、ホテルや商業施設を手掛ける企業の会長なのだ。こういった場所にいることも、まあ、あるのだろう。
たまたま出向いた先でイツキを見掛け、さっそく、声を掛けたという所か。
つかつかと黒川は小野寺の元へ歩み寄る。
小野寺もまた、少し驚いた様子。
イツキを掴んでいた手が緩んだのか、イツキは小野寺から離れ、
すぐ目前まで来た黒川の、横にぴたりと張り付いた。
「……どうも。小野寺さん…」
「はは。鼻がいいね、黒川くん」
「…こいつに、何の御用でしたかね…」
「ん?……ちょっと付き合ってもらおうと思っただけだよ」
小野寺は軽く笑い、イツキを横目で、ちらりと眺める。
そして、こんなに人がいる所で話すべきコトではないと、一歩前に出て……わざとらしく小さな声で囁く。
「……イツキくんみたいな子がこんな場所に、いちゃ、駄目だろ?……勤め先にもテナントにも、失礼だよ。……素性を知られては、大変だろう?」
「……素性を知られて困るのは、あんたも一緒だろう、小野寺さん」
黒川は静かに言い返す。
そして、意外な笑顔を浮かべ、………何かを取り出すのかスーツの内ポケットに手を入れた。
2020年05月26日
黒川のやり方
黒川が現れたことでイツキは小野寺の手から逃れ
とりあえず…、…安心はしたのだが、……まだ問題が解決した訳ではない。
自分を助けてくれるのは勿論、嬉しいが、……笠原の時のように大立ち回りされても、…この場では困る。
黒川が内ポケットに手をやったときに、何か…、凶器となるようなものが出るのではないかと…、ヒヤリとしたのは、イツキだけは無かっただろう。
黒川は
意外な、笑みを浮かべたまま
少し後ろに立っていた施設長の柳に、向き直る。
手に持っていたのは、名刺だった。
「申し遅れました。わたくし、不動産を生業にしている黒川興業の黒川と申します。こちらの岡部イツキの身内です。小野寺さんとも、懇意にさせていただいております」
あまりに普通の挨拶をする。差し出された名刺は表向きの、きちんとした肩書のもので、柳は一瞬たじろぐ。
慌てて自分も名刺を用意し、黒川のものと交換する。
「……あっ、……ええと、……黒川興業さん……」
「はい。……こちらの南口開発の際にお世話になったかと…。小野寺さんの会社と合同でいろいろ手掛けておりまして……」
「…それは、…ああ。……はい」
柳はこの施設の長ではあったが所詮はその程度で、運営企業の重役という訳ではない。
要は、大した男ではないのだ。
肩書がある黒川に、強く出られる立場ではない。
「うちのイツキも、小野寺さんと…面識がありましてね。それで今日は、…送ってくれようとしたんですかねぇ。……それとも、他に何か御用がありましたか?
シャインリゾートカンパニーの会長さんが、…こんな子供に、……何か、特別の用件が?」
2020年05月27日
終了
まあまあ体格の良いスーツ男が集まり、何やら…揉めているようだと……、食堂に居た数人がこちらをチラチラと見る。
あまりオオゴトにはしたくは無い話。
黒川は人の目を利用する。
イツキの素性が周りに知れては駄目なように、小野寺もまた、……男を相手に商売するイツキの、その、客であるなどと……知れてはまずいのだ。
一般企業の会長である小野寺の実害は、もしかすると、イツキよりも深刻かも知れない。
この場で、裏の事情をネタに脅しをかけるというのは、同時に自分の首をも絞める事になる。
黒川の含みのある物言いと、伺うように睨み付ける様子に、小野寺もその危険を察した。
「……ふふ。いや、なに。…ちょっと見掛けたものでね。君のところまで送ってあげようかと思ったんだよ」
「それはどうも、ご親切に」
「せっかくだから、一緒に食事でもどうだい?」
「……結構」
黒川は吐き捨てる様にそう言い切る。そうなるともう、小野寺に手は無かった。
最後に黒川は柳に適当な挨拶をして、踵を返す。
イツキは…当初の用件だったハーバルの荷物を抱え、柳と小野寺にぺこりと頭を下げる。
小野寺は残念と言う風に薄く笑い、「…またね」と、イツキに小さく手を振った。
「……あんな奴にお辞儀なぞするな」
「…え、でも…、……一応…」
「そんな事だからすぐに騙されるんだ!……馬鹿が!……誰彼構わずホイホイ付いて行きやがって、尻軽め!
……俺が来なければ、また連れて行かれる所だったろう、……まったくお前は…!!」
施設の外へ出る通路を歩きながら、黒川は悪態を付く。
それは先ほどの、紳士然とした立ち居振る舞いを見せた男とは別人のようだった。
2020年05月28日
ミカとユウ
途中、黒川は一ノ宮と連絡を取り、一ノ宮が待つ外の車用口へと向かった。
ミカは、少し離れて、イツキの後を追いかける。
イツキに話しかけたいのだが、…隣にいる男が怖くて、なかなか声を掛けられなかった。
車用口には、一ノ宮とユウの姿があった。一ノ宮はイツキの無事を確認すると、良かったと安堵の笑みを浮かべた。
「小野寺が出たぞ」
まるでお化けか熊でも出たかのように、黒川は言う。
「おや。……こんな場所にですか。何、繋がりなのでしょうね。……それにしては早く事が済みましたね」
「あんなのに付き合っていられるか。…胸糞悪い。……飲みに行くぞ」
ふんと鼻息を鳴らし、不機嫌顔のまま黒川は歩き出す。
振り返り、イツキに早く来い、と顎で指図する。
イツキは…、ミカとユウを気にしていた。
黒川とミカが一緒に現れた経緯は解らなかったが、助けて貰った事には違いない。
「……ミカちゃん、ごめん、ありがとう。……今度、ちゃんと、話す……」
「うん。うん。聞く、聞く。……絶対ね!」
「お二人にはお世話になりましたね」
手早く会話をしていると、そっと一ノ宮が近づく。
そして、ミカとユウにきちんと礼を言い、時間を取らせてしまったお詫びにと、帰りの車代を持たせてくれた。
後でその包みを開くと、そこにはタクシー代にしては高額すぎる現金が入っていて
ミカとユウは顔を見合わせ、……一体、彼らは何者なのだろうと……、想像に花を咲かせるのだった。
2020年05月29日
簡単な理由
もともとはイツキの仕事を労う食事会のはずだったが
口を開けば黒川は、やれ馬鹿だの、緊張が足りないだの、どこでも男を引っ掛けるだの…文句を言った。
まあ、危ないトコロだったのは否めない。イツキは大人しく頭を垂れ、焼き鳥を串から外す。
「…でも、小野寺さん。なんで急に引き下がったのかな…」
「お前が淫乱の男好きと知られて困る様に、あいつだって、世間にそう知られてはまずいんだよ。あんな表の場ではな。
…ああ、焼き鳥をバラすな、貧乏臭い。だからお前は馬鹿だと言うんだ…」
「………まあまあまあ…。今日の所は何事も無かったわけですから…」
犬も食わない喧嘩を眺め、一ノ宮はとりあえず場を収める。
酒と食事で一通り腹が満たされると、賢明な一ノ宮は、「……では私はお先に…」と席を立った。
黒川は、ふんと、鼻息を鳴らす。
自ら危機を招いているかのように見えるイツキに、こんなに腹が立つ理由を、こと細かに一ノ宮に説明される前で良かったと思う。
理由など、簡単だ。
イツキと黒川が自分達の部屋に帰ったのは、ずい分と遅い時間になってからだった。
良い具合に酔っ払い。イツキなどはよろけ、廊下の壁に頭をぶつける。
考えてみればイツキは三日間、朝から晩まで慣れない立ち仕事で……しかもその仕事の前日は、『仕事』が重なりほとんど寝ていない。
すでに体力の限界を通り越しているのだろう、辛うじて歯だけ磨くと、寝室のベッドに倒れ込む。
「…………ねむ。…………マサヤ、おれ、もう………眠い…」
言いながら今にも眠りに落ちそうなイツキ。
黒川は上着を脱ぎベッドの縁に座り、そんなイツキの頭に手をのせる。
「…イツキ」
身を屈め、耳元で、ささやいた。
「…………今日は、寝かせる気は、ないぞ?」