2020年09月01日
寿司割烹なか井・1
ある日の夕方。
イツキは待ち合わせのため、ある場所の、ちょっとした料理屋に来ていた。
予約の名を告げるとすでに相手は来店しているようで、奥の座敷に通される。
スーツは着ているが「仕事」では無い。やましい密会でもない。
実は、黒川、公認。
「…すみません、お待たせしましたか?」
「いやいやいや。大丈夫。久しぶりだね、イツキくん」
「…イロイロ、…お世話になりました。松田さん」
イツキはぺこりと頭を下げる。
松田は、そんなものはいいよという風に手をひらひらさせ、すでに用意されていたビールをグラスに注いだ。
オーガニックフェスタの最終日、笠原に掴まり揉めた一件では、松田に大いに助けられた。
黒川も一応、借りを作ったと思っているらしい。
とりあえず素性は知れた相手。イツキと食事がしたいと言われれば、そう無碍には断れない。
イツキにしても、それ以上に、松田には世話になっていた。
今回のハーバル常設店の話も、色々、動いてくれたと聞いていたのだ。
「…まあね。地元産業が強くなるのは良いことだよ。ハーバルの社長とは昔からの付き合いだしね。
こっちに繋がりが出来れば、他も売り込みやすくなるし。
お茶の吉田のじーさんなんて、すっかりその気になっててさ。
なにより……、イツキくんに恩が売れるし」
松田はニコリと笑い、グラスを上に持ち上げてみせる。
松田の深意はまだ解らなかったが、イツキは松田が嫌いでは無かった。
2020年09月02日
寿司割烹なか井・2
運ばれてくる料理はどれも美味しく、イツキはリラックスした様子で食事を楽しむ。
表で酒が飲める年齢にはあと数か月足りなかったが、こんなお座敷でそれを咎める者はいなかった。
ほろ酔い気分の中、最近の自身の様子を軽く報告する。
先日久しぶりに海で遊んだ話をすると、松田は、イツキの水着姿が見たかったと言って笑った。
「ところでさ、イツキくん…。……林田と、ヤった?」
「………はい?」
イツキが、甲羅付き蟹グラタンの甲羅のヘリをスプーンでかしかしやっていると
突然、松田がそんな事を言う。イツキは、スプーンを宙に浮かせたまま、何の事かと思う。
「……林田さんって、……えっと。………あ、……、まあ……」
「ハハハ。やっぱりね。…俺、この間ヤツと飲む機会があってね、色々、聞いちゃったよ」
「…え、……何ですか……」
林田とはフェスタ以来、会ってはいない。
一人暮らしの頃は大変世話にもなったし、流れで、そんなコトになった事もあったが、当然イツキは何とも思っていなかった。
……そう言えば、付き合っていたらしいミカとは、別れてしまったのだと……ミカが言っていた。
その時は研修中で、後にすぐ別の話になってしまい、詳しく聞くことが無かったのだけど。
松田は、ついこの前、フェスタの関係者を集めた会食の場で林田と一緒になったのだと言う。
別に親しい間柄でもないが、たまたま席が隣になると、声を掛けて来たのは林田の方だった。
『……松田さんはイツキくんと仲…イイんですか? フェスタの後、二人でどこ、行ってたんですか?』
この時点で林田は、結構酒に酔っているらしかった。
2020年09月04日
寿司割烹なか井・3
『…フェスタの後?……ああ、あれは…、……イツキくんを送っただけだよ。家に』
『黒川さんの所ですか?』
『あ?…黒川さんも知ってるんだ?……ふーん』
『…イツキくんのカレシですよね。……俺、別に、アレなんですけど…。…気にしてないんですけど。……まあ、どうなのかなって…、その…、あの…』
思いつめた様子の林田。自分でも自分の気持が解っていないのかも知れない。
もやもやと一緒に手元の酒を煽る様子を、松田は可笑しそうに横目で見遣る。
おそらく、イツキの色香に当てられた一人なのだろう。被害者というべきか。
『…イツキくんはねー、複雑らしいからねー。あんまり関わらない方が良いと思うよ?
君は君で、普通に彼女でも作って遊びなさい』
『……カノジョは…、……いたけど、別れちゃって。……なんか俺が、いつも、なんか上の空だって…、……ハハハ』
林田は笑って、また酒を飲んで、散々愚痴を零し、その後はパタリと倒れてしまった。
「…イツキくんの事が忘れられないみたいだよ、可哀想に」
「俺、……林田さんとは、何も無いですよ。……ちょっと、……しましたけど…」
「ちょっと、ね。あはは。……林田にしてみれば、大事件だったろうなぁ…」
あまりに松田が茶化し、笑うものだから…、……イツキは少し、不機嫌になる。
確かに、軽い気持ちで関係を持つことは褒められたものではないが……、その善悪を今更自分に説かれても仕方が無い。
そんな事は松田にも解っているだろうに。
「……俺、…するのって…、……あんまり…。……大したコトじゃ無いんですよね…。
そうやって…、ずっと、……言われてきたので…。
林田さんが困ってるのは、申し訳ないとは思うけど…。
俺のセックスなんて、…挨拶の延長でしょ?……松田さんとだって、したでしょ?」
自棄気味にそう呟くイツキは、言葉とは裏腹に…どこか寂し気で、……泣き出しそうな顔で……松田は胸の何処かに痛みを覚える。
そう感じさせるトコロが、イツキの、危険な所なのだとも知っている。
2020年09月05日
寿司割烹なか井・4
「いいね。俺はそんなイツキくん、好きだよ。いちいち惑わされる方が、お子様なんだよ」
一応褒めているらしい松田の言葉に、少し、イツキの気も晴れる。
「林田も直に冷めるデショ。……ま、あんまり素人に手、出しちゃ、駄目だぜ?」
イツキは…、若干拗ねた様子で唇を尖らせ、……こくんと小さく頷いて見せた。
途中、小さな牛ヒレのステーキを挟んで、最後はお造り船盛りがテーブルに置かれる。
酒はビールから日本酒に替わり、その頃にはイツキの機嫌もとりあえず戻る。
薄く切られた白身魚の正体を探り、わさびを付け過ぎたと言って顔を顰め、貝は苦手と、取り分けた皿を遠くにやる。
「………俺はね…」
「…はい?」
「……全部ひっくるめて、好きなんだよね」
「………お刺身ですか?」
「違う」
そこはキッパリと否定し、松田は笑いを堪え、酒を飲み、気を取り直す。
「イツキくんだよ。全部。……エッチなところも、時々すっとぼけた事するのも。
それと、そんなイツキくんを囲っている黒川さんも。全部、気に入ってる」
「………松田さん。マサヤが好きって…、コトですか?」
「まあ、そんなトコかな。……どうやってイツキくんみたいな子、育てたのかとか…、興味がある。
…溺愛してるかと思えば、放置でしょ?……ふふ。黒川さんも、相当の変わり者だよね」
好き、にも、興味がある、にも、様々な思惑や熱量があるのだろうが
松田が黒川を好意的に思っているのは確かなようだった。
イツキは、面と向かって黒川を好きという人間にそう出会った事が無かったので
松田の言葉に新鮮に驚いた。
2020年09月08日
寿司割烹なか井・5
「どうしたの?神妙な顔しちゃって」
最後に出された季節の果物ジェラートを食べながら
イツキは難しい顔をしていたらしい。松田が尋ねる。
「…イツキくん、変なコト考えてるでしょ? 別に黒川さんが好きって、そういう事じゃあ無いよ?」
「……えっ、……あ、そうなんですか…」
イツキは
松田の話を聞いてつい…、…その先の事を考えていた。
気に入った相手に取る態度など、自分の体験の中では、アレしか思い浮かばない。
松田と、黒川が、どうのこうの…だの、考えれば考えるほど不思議だった。
イツキの考えは、松田にも伝わっていたようで、松田は半分笑いを堪える。
「…まあ、それでもいいけどね。ふふ。楽しそうだ。……どっちでもイケそうだしね」
「……どっちでもって…」
「俺が黒川さん、抱いてもいいよ?」
「………やっ……」
松田の冗談にイツキはむせ返り、何を想像したのか顔を真っ赤にして慌てる。
その様子を見て、松田は声を上げて笑い出す。
「ははは。まあ、それは無いにしても。
一緒に仕事とか、考えてるよ。丁度俺もこっちで、乗り掛かってるヤマがあるしね。
まあ、これからも、よろしくって事だよ」
松田はそう言って、手元に残っていたグラスの酒をぐいっと飲み干した。
食事が終わり、料理屋を出て、2人揃ってタクシーに乗り込む。
少しだけ警戒はしていたが、タクシーは寄り道することもなく
イツキは自宅へと送り届けられた。
2020年09月10日
寿司割烹なか井・終
「………松田さん、……変な人だったよ…」
「…メシだけ食って解散か。そうだな、確かに変だな」
その夜の報告会。イツキは出された料理の話と、松田の話を、黒川にさらりと告げる。
イツキと2人で食事がしたいと言われれば、それは、その後の行為も半ばお約束というものだが
それが無いというだけで、かなりの変人扱いになる。
「…まあ、今のところ悪巧みも無いようだしな。…親交を深めたいだけ、とはマユツバだが…
暫くは放って置いても構わんだろう。損にはならん」
「…なにか、一緒に仕事、するの?」
「向こうの親父さんの連絡待ちだが…。もしかしたらな。ホテルの買収に絡むかも…」
「……ふぅん」
イツキは一つ息をついて、体を小さく揺する。
濡らした器具でずっと中を擦られていては、話に集中できるものではない。
「……マサヤ、松田さん、好き?」
「ハァ? 好き嫌いの問題じゃないだろう。役に立つか、立たないかだ」
「……んー、まあ、……そうだね…」
『黒川を気に入っている』という松田の言葉は、まだ、イツキの中で消化不良を起こしていた。
ヤキモチという種類ではないが、少し、似ているのかも知れない。
それを黒川に伝えるのも難しくて、諦めた。
代わりに、腕を伸ばし、黒川に抱き付き
言葉より解りやすい方法で、感情の整理をすることにした。
2020年09月11日
黒川危機一髪
「……別にマサヤを特別に、強くて格好いいとか、思っていた訳じゃ無いんだけどさ。
でも…他の人がマサヤをどう思っているのか考えた時に…
やっぱり、強くて格好良い方がいいなって…思っちゃった。
俺が、されてる、……従っているのは…強い男なんだって。
だから俺がこうなってるのも…仕方が無いことなんだって…
言い訳じゃないけど、そう思いたいのかな……
なんか、わかんないけど……
……解る?…一ノ宮さん」
事務所で。
黒川の帰りを待つイツキは、ソファに半分横になり、一ノ宮相手にとりとめのない話をする。
先日の松田の発言は、まだイツキの中にわだかまりを残していた。
平たく言えば、自分が絶対服従している男が、他の男に征服されては困るのだ。
一ノ宮は仕事の手を止め、コーヒーを飲み、穏やかに笑う。
「解りますよ。私だって、社長が一番だと思って仕えているのですから。
…行為の際の上下で、関係の優劣が決まるわけでは無いでしょうが…、…社長が男に組み敷かれてはイヤですねぇ」
「……だよね。想像できないよね…」
「もしそうなるなら、松田氏より先に、私が頂きますけどね」
一ノ宮の言葉をイツキが理解する前に、扉が開き、黒川が事務所に戻って来る。
イツキは黒川を見て、それから一ノ宮を見ると
一ノ宮も黒川を見て、それからイツキを見て、ふふふと、悪戯っぽく笑った。
2020年09月15日
ショップ・ハーバル
都内でも大きなターミナル駅。
改札から連絡通路を抜け直結している某百貨店。
最高級品ばかりを扱う店、という訳ではなく、食料品や書籍やファストファッションも並ぶ。
さすがに地上の通りに面したフロアには、誰もが名前を知っているブランドの店が入っていたが
イツキが働く2階は化粧品の他、服飾雑貨や、カフェや、ネイルサロンなどがあるフロアだった。
イツキ自身はまったく気が付いていないのだが
イツキがフロアに立ち始めたことは、ちょっとした事件だった。
その一角に、ハーバルという新しい化粧品のコーナーが出来ることは前々から知らされていたが
ただでさえ女性が多い場所に、綺麗な青年がいる事は、違和感でしか無かった。
「…問題はありませんか?ハーバルさん」
「……大丈夫…だと思います。ありがとうございます、茗荷谷マネージャー」
「ジャケット、間に合って良かったですね。売り場と統一感があって良い。…女性の方は?」
「ミカちゃんは……大谷さんはお昼からです。お昼から、ラストまでなので…」
ハーバルの制服、という程ではないが、イツキもミカも揃いの深緑の上着を着ることになった。
白地に緑のロゴのハーバルと、よく馴染む。
シックで上品なジャケットに包まれた、まだあどけなさの残る、白い肌の男の子。
はにかむ笑顔は可愛いというより、何か、艶めいていて……他の売り場の女子達は目が釘付けになっていた。
フロアマネージャーの茗荷谷に連れられて、イツキは隣り近所に挨拶に回る。
それから、商品の最終確認をして、大きく息をつく。
開店時間を告げる鐘の音が響くと、イツキはぶるりと身体を震わせる。
それは、初めての男とセックスする時の感覚に、良く似ていた。
ミカちゃんの苗字って……今まで、出ましたっけ??
もし出てたらアレなんですけど……、今後は大谷でお願いします…ww
おしゃべりミカ
「やだ、イツキくんジャケット似合う。ズルイ!……あたし、なんかオカシクない?…太って見える気がするの。
コレ、うちの社長とダニーが勝手に決めちゃったんだよね。制服なんていらないのにね。
午前中、お客さん、来た?……ああ、結構来た?……そだよね、結構案内のメール出したもんね。オツカレ〜
クリームのサンプル無くなっちゃった? 後に在庫、あったよ、大丈夫。
ところでイツキくん、明日の夜は飲み会だからね! ユウちゃんが歓迎会してくれるって」
お昼過ぎにミカが来て、顔を見るなりマシンガンのように捲し立てる。
午前中の仕事でまあまあ疲れていたイツキは目をぱちくりさせ、ゆっくりと、言葉を理解する。
「………お疲れ様です。………ミカちゃん、………ダニーって誰?」
「ええっ、やだ、イツキくん。ミョウガダニマネージャーよ。長すぎるでしょ?みんな略してるのよ」
「………そうなんだ…。…ユウちゃんって…?」
「それがね、すごいのよ!」
ミカはお喋りを続けながらも、器用に、あれこれ手を動かす。
クリームの在庫を見付けケースに並べ、持ち帰り用の紙袋をチェックし、来店客にはにこやかな応対をし、新しいバームを手の甲にくるくると塗ってみせる。
向こうの、作業所の時もミカは、仕事の間中お喋りをしていて小森などに怒られていたが…
今も変わらず。それも向こうにいる時よりも快活で楽し気だ。
都会の水が合っている、というやつだろうか。
「ユウちゃんって、東京駅の時に仲良くなったコ。
ほら、最終日にイツキくんがお偉いさんに掴まってバタバタした時、一緒にいたコだよ。
ユウちゃんのお店ね、この百貨店にも入ってて、よくヘルプに来るんだって。
他の子とも仲が良くて…、だから明日はみんなで飲みましょうって。…ね!」
ミカのお喋りに、すでにイツキの頭はパンク寸前だった。
2020年09月16日
夜のふたり
真夜中。仕事を終えた黒川が部屋に戻ると
寝室の広いベッドに、イツキが眠っていた。
自分の部屋が欲しいだの言って、隣のクローゼットにベッドを入れていたのは何だったんだと、黒川は笑う。
一度キッチンに向かい、酔い覚ましの水を飲む。
皿に取り分けてあった小さなコロッケのようなものを、口に入れる。
それからシャワーを浴び、ソファでくつろぎ、煙草を一本吸い、また寝室に戻る。
イツキは先ほどと同じ、ベッドの真ん中で身体を九の字にして、眠っていた。
少し、イツキを押し退けて、黒川がベッドに上がると
イツキは目を覚ましたようで何度か瞬きをし
寝ぼけているのか、本当に甘えているのか、黒川の首に腕を回し抱き付く。
「………おかえりなさい」
「…ああ」
「やっぱり、こっちの方がいい。…背中、痛くなんない…。……俺、今日、つかれた…」
そう言って、安心したように息をついて、また眠りに落ちて行った。
しばらくイツキの寝顔を眺めていた黒川だったが
手持無沙汰になったのか、……イツキの股間に手をやり、弄りはじめる。
寝ているくせに、ぴくりと反応し、眉頭を寄せる様子が面白い。
首筋に舌を這わせると、微かに塩気を感じる。シャツの上から乳首を触る。爪先でカリカリと引っ掻く。
そのうちイツキはどうにも落ち着かなくなってきたのか、腰をもぞもぞと動かし出す。
無意識のくせに、身体をくねらせる姿は、卑猥過ぎる。
黒川はふふふと笑って、
この日は、寝た。
2020年09月17日
朝のふたり
朝、イツキが目を覚ますと
……自分の身体がすっかりその気になっていて……驚いた。
年ごろの男子の生理現象なのだし、ある程度は仕方が無いとは思うが
隣りで眠る黒川の体温や、もやもやとした夢の様な感覚が…、…カラダに響いて
あまりにも素直な欲求に、困惑した。
自分で自分に触れてみる。
中でイクのではなく、今は、ココで。
想像するネタには事欠かない。
目を閉じ、静かに鼻で息をする。
どうにか手早く…この衝動を収めてしまおうと努力する。
「……朝っぱらから…、何、してんだよ……」
「…………えっ、………なんでもないよ…」
「……ふぅん?」
隣りで怪しくもぞもぞと動くイツキに、黒川が気付き、声を掛ける。
慌てて取り繕うも、股ぐらに手をやり涙目でいては…何の言い訳も出来ないし
身体も、隠せない。
「馬鹿な奴」
黒川はニヤリと笑って、その続きを、引き受けることにした。
2020年09月19日
ハーバル歓迎会
百貨店の側の小さな居酒屋。歓迎会と言っても人数は10名にも満たない、こじんまりとしたもの。
イツキとミカ。同じフロアのコスメショップ「リルガール」のユウ。ユウの同僚。
同僚と仲の良い、ネイルサロンの店長。ネイルの隣のアクセサリー屋のスタッフ。
皆の行きつけのカフェの女の子と、女の子と出来ているとウワサの店長。
そして、何故か、フロアマネージャーの茗荷谷も招かれていた。
「……いやー、なんだかダニーにも話が回っちゃって…。オフィシャルな集まりと思われたらしくて……。なんか、ごめんね……」
フロアで働く皆からすれば、お堅い上司の茗荷谷が同席というのも……気になる所しれない。
幹事のユウが申し訳なさそうに、ミカに耳打ちする。
もっともミカは気にもしていない様子。自分たちのために集まってくれたのだもの、むしろ嬉しいとニコニコ笑う。
「ありがとうございます!ハーバルです!これから、よろしくお願いします!!」
そう元気よく挨拶をし、グラスを掲げた。
ミカと気が合うユウが集めたメンバーは皆、気さくな酒呑みで…会はほどなく明るい酔っ払いばかりになる。
簡単な自己紹介や仕事の軽い愚痴をこぼしたあとは、何人かずつで固まり、話に花を咲かせる。
イツキは
少し年上のネイルの女店長に、少々面倒臭く絡まれ……おまけに口説かれそうになり、慌てて席を移動すると
そこには、茗荷谷が一人で日本酒を煽っているところだった。
茗荷谷はイツキをちらりと横目で見ると
「……今日は遅刻でしたね。オープンの30分前は朝礼があるので、遅れないように」
と、言った。
2020年09月20日
歓迎会・2
この日の朝イツキが遅刻をしたのには理由があった。
うっかり黒川と……してしまい……身体が言うことを聞かなかったからだ。
けれど、そんな言い訳が通るはずもないことは、イツキでも解る。
「……すみません。……。気を付けます」
普通に朝からキチンと働くのは大変だな、と、イツキは酒のグラスを傾けながら思う。
自分だけの努力では、どうにもならない事があるような気もして…今後その辺りどうしようかと…ふうと息をつく。
「まあ、ショップ立ち上げも大変だったでしょうし。疲れが出る頃かも知れませんね。
あまり根を詰めてもね。
適当に抜いて、…ああ、時間は厳守ですがね、あとは休み休み…」
真面目一辺倒だと思っていた茗荷谷がそんな事を言うものだから
イツキは少し驚いた顔をして、茗荷谷を見やる。
茗荷谷は特にうがった事を言ったつもりもなく、癖のように眼鏡に手をやり、酒を飲む。
「……マネージャー、お酒、お強いですね。…日本酒お好きなんですか?」
「香りが良くてね。そう言う君も……、……あれ、キミ、まだ未成年じゃなかったですか…」
「イツキくんのは、水ですよ!…お疲れ様っす、マネージャー!」
丁度良いタイミングで、イツキと茗荷谷の間にミカが割って入る。
助けてくれたのかただの酔っ払いなのかは微妙なトコロだったが、ここはミカに任せ
イツキはすすす、と席を移動する。
すると今度は、ユウがイツキの傍にやって来る。
イツキはユウとあまり話した事は無かったが、東京駅での小野寺との一件で、多少世話にはなっていたので
ニコリと笑う。
2020年09月23日
歓迎会・3
「イツキくんとはゆっくりお話したいと思ってたの。フフ」
「……はあ、そうですか…」
「ね、ね。……あの時の人って…、誰? どんな人なの?」
ユウも良い感じの酔っ払いらしい。
少し赤くなった顔をイツキに寄せ、上目遣いでそう探る。
イツキは…ここも危険だと、場所を変えようと思ったのだが…丁度良い逃げ場がない。
自分と黒川の間柄を会う人会う人に説明していては、大変な事になってしまう。
「……ほ……保護者……みたいな……」
「…あー、違う違う、おじさまじゃなくて」
ユウはそっちじゃないと、大袈裟に手を振る。
「イツキくんと一緒に戻ってきた人じゃなくて…
あたしとミカと一緒に、外で待ってた人。シュっとした物静かな…インテリっぽい…」
「……一ノ宮さんのことかな…」
「一ノ宮さんって言うの?……すごい素敵な人ね。紳士だったわ!」
どうやらユウは、一ノ宮に興味があったらしい。
通用門で黒川の戻りを待つ様子や、事が片付き、自分たちに面倒を掛けたと礼を言う姿が
今までにユウが出会った男性陣とはまるで別で、
以来、忘れられないのだと言う。
「…お幾つ?…彼女さんとか居るのかしら?…イツキくんのおじさまと一緒にお仕事してるの?
……連絡先とか交換出来ないかしら……」
酔っ払いのユウはそんな事を言い、きゃっきゃと一人で盛り上がる。
イツキは、黒川が「おじさま」と呼ばれたことが自然過ぎて、可笑しくて
ユウの話を聞くどころでは無かった。
2020年09月25日
歓迎会後
外での用事を終え黒川が事務所に戻る。
一ノ宮はデスクから顔を上げ、「おかえりなさい」と言う。
ソファには、……イツキが横になって眠っていた。
イツキは
今日は歓迎会とやらで食事をしてくると言っていた。
…まあ、飲んで帰るのも良いとして…、……ならば真っ直ぐマンションに帰れば良いだろうに。
「………何だ、こいつは…」
「イツキくん、今日は仕事先の人と飲んで来たらしくて……楽しかったようですよ」
「それは知っている。……何でココで寝ているか、だ」
黒川は呆れたように、ふんと鼻息を付き、着ていたジャケットをイツキの身体の上に放り投げる。
一ノ宮は軽く笑い、部屋の奥の流しに向かい、黒川に何か飲むものを用意する。
「さっきまで私とお喋りしていたんです。…以前、見掛けた女性が、私たちの事を気にかけていたというので、その話を少し………」
「あまり外にやるのも考え物だな。こいつの素性は、そこかしこに言える物でもないだろう。
自分は男相手に身体を売っいて、俺らはその元締めのヤクザです、とでも自己紹介するのか?」
「…いえ、まさか……」
冷たいお茶の入ったグラスを一ノ宮が黒川に手渡すと、黒川は、それをぐっと飲み干す。
そして、カタンと、グラスをテーブルに置き、その手でイツキの頬をぺちぺちと叩く。
「……帰るぞ。……馬鹿が」
「……………ん……」
イツキは身体をもぞもぞと動かし、何度か瞬きをし……
薄く目を開いて黒川の顔を確認すると…、……小さく笑い、………また目を閉じてしまった。
「……馬鹿が…」
黒川はもう一度つぶやくと、諦めたのかソファのイツキの向かいに座り
煙草に火を付け、ふうと息を吐き、イツキの寝顔を眺めていた。
さすが、保護者。おじさまww