2021年05月27日
酔っ払い黒川
黒川はめっぽう酒に強い。
長い付き合いの一ノ宮でさえ、黒川が泥酔し正体を無くす様は見た事がない。
それでもまあ、たまには飲み過ぎ、明るくなったり暗くなったりする日もある。
愚痴とも何とも解らない事を、延々と口にして、全てを流すように、また酒を飲むのだ。
「…飲み過ぎですよ?」
「…そうだな」
高級クラブ『花うさぎ』で飲み、仕事の話が一通り終わった後は
赤ちょうちんの安酒場に移動し、さらに飲む。
一ノ宮はすでに諦めの境地。
……おそらく、イツキと上手く行っていないのだろうなと推察する。
しかしまあ、そんな時期があっても良いだろう。
どうしたっていびつな関係の2人なのだ。
たまにはきちんと向き合い、衝突し、問題を見直した方が良い。
きっかけを作ってくれた松田には、半ば、感謝をしていた。
テーブルに置きっ放しになっていた黒川のケータイが鳴る。
何とはなしに一ノ宮も画面を覗き込んでしまう。
電話の着信。ディスプレイには、イツキ、の文字。
黒川もそれを見て、ふんと鼻息をたて、五月蝿いとばかりに電話を切ってしまった。
「…相変わらずですね。松田さんの言葉が、少しは身に染みたのではないのですか?」
少し意地悪に一ノ宮がそう言う。黒川はもう一度ふんと鼻息をたて、コップ酒を煽る。
「……染みたさ。だから、嫌なんだ。
この俺が、こんな事ばかり考えているのは……オカシイだろう」
黒川が、ため息まじりにそう呟いたところで
またイツキからの電話が鳴った。
2021年05月29日
電話
『……マサヤ?……今日って帰って来る?
ちょっと聞きたい事が……ん、…一ノ宮さん?』
「すみません、イツキくん。……ええ、社長は隣りにいるのですが
少し、酔っ払っていまして…」
電話に出ない黒川を軽く責めると、では、お前が出ればいい、と言われ
一ノ宮が応対する。
直接話しをするのほ久しぶりかも知れない。
柔らかな口調で簡単な挨拶を交わしていると
隣りの黒川は、嫌そうな顔で、チラリと睨む。
「…ははは。…イツキくんも飲み過ぎてはいけませんよ。
…ええと、…社長に聞きたい事とは………、はあ、……ええ?」
通話の途中で、今度は一ノ宮が黒川を睨む。
黒川は少しむくれた顔で、酒をあおる。
『……そうなんです。明後日、『仕事』って言われるんですけど
場所、どこだったかなぁって。…俺、明日、ハーバルの棚卸しで…バタバタしちゃうから
先に聞いておこうと思って……』
「…社長、明後日の会合、イツキくんを呼んだのですか?」
「……ああ?」
「……あの、平塚会長ですよ?」
「……ああ」
通話口を軽く手で塞いで、一ノ宮は黒川に確認する。
今更。しかもこんなタイミングでイツキを『仕事』にやるのも有り得ないが
その相手も相手だ。
一ノ宮が怪訝な表情を浮かべる程、悪い。
黒川は
少しその事を忘れていたのだが、そうだったと思い出し、笑う。
そして、酒のグラスを傾けながら、もう片方の手を一ノ宮に向け
イツキとの電話を、代わる。
「……なんだ?……やっぱり、やめるか?……ふふ」
2021年05月30日
最後の一言
黒川にしては、精一杯の優しい言葉を掛けてやっているつもりなのだろうが
ひねくれ過ぎていて、あまり、通じる物でもない。
黒川は同じ失敗を繰り返す。
「……嫌だと言うなら、止めてやってもいいぜ?」
『……あー、別に大丈夫。……。場所、どこ?…築地の吉むら?』
「…いや。…花岡だ…」
『ああ、離れの座敷があるトコね。…りょーかーい』
必要な情報だけ得ると、イツキは「じゃ、オヤスミ」と言い、
電話はぷつりと切れる。
黒川は手に持ったケータイを眺めながら、しばらく、動かなくなってしまう。
「………あの言い方では無いでしょう?」
横から静かに一ノ宮が口を出す。
黒川の、いつもの意地悪なのだろうが、今はもうそんな事をしている状況で無いのは一ノ宮にも判る。
「……じゃあ、なんだよ?」
黒川はケータイをテーブルに放り、ふんと鼻息を鳴らす。
一ノ宮はチラリと黒川を眺め、ふうとため息をつく。
「つい仕事を振ってしまったが、間違いだった。もうお前を仕事にやる気はない。
イロイロとすまなかった。
もう、他の男に抱かせる気はない。遊びでも駄目だ。愛してる。
それぐらい、言ってみてはいかがですか?」
最後の一言に、思わず、黒川は口に含んだ酒を吹きそうになっていた。