2022年05月09日
イツキの話・1
ある日の夕方。
ハーバルの仕事を終えたイツキが黒川の事務所に立ち寄ると、丁度入れ違いに、レノンが部屋を出る所だった。
レノンも『仕事』の後なのだろうか。それにしては明るい軽やかな様子。
「……じゃあね、一ノ宮さん。今度、フルコースね。約束だよ」
部屋にいた一ノ宮にそう声を掛け、すれ違うイツキにペコリと頭を下げ、階段を降りて行った。
「………こんにちわ。………レノンくん、なんだか印象変わりましたね。……フルコースって?」
「ああ。イツキくんこんにちわ。ああ、いえね、…会食のマナーも覚えなければ駄目ですねって話から…今度食事に連れていく流れになりまして……」
「一ノ宮さんとレノンくんが?…いいな、俺も行きたいな…」
甘えた様子を見せるレノンと、それが満更でも無さそうな一ノ宮に、イツキが少し驚いていると
奥のチェアに座っていた黒川と目があった。
黒川は若干、不機嫌顔。レノンが妙に一ノ宮に懐くのは気に入らないらしい。
嫉妬というほどのものではないが、やはり、何に付け、自分が一番が良いのだろう。
「…何だ、イツキ。何の用だ。あまり事務所には来るなと言っただろうが…」
「マサヤにちょっと話があって…」
一ノ宮は黒川とイツキに新しいお茶を沸かす。
自分は場を離れた方がよろしいですかと目配せをするが、黒川は構わんと、顎をついと上げる。
「…マサヤ、俺、ちょっと……居なくなってもいい?」
「駄目だ」
唐突に話を始めるイツキにも問題はあるのだが。
posted by 白黒ぼたん at 20:59
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2022年05月11日
イツキの話・2
『…………しゅっちょう!!!』
『まあ、そんなトコ。本社だけどね。新しい商品の仕入れなんだって』
『……でも、俺?……そんな大切な事なら、ミカさんの方が良いのでは…?』
『なんかね、東京で働く男の子目線が欲しいんだって』
即答で黒川に断られた話を、イツキは順を追って説明する。
新規商品の開拓目的で、ハーバルの本社から呼びが掛かったのだ。
すでに目星を付けている事業所に、所長と一緒に回る、という程度のものだったが
とにかく「出張」という言葉が、イツキには新鮮で輝かしい。
「……お前、『出張』なら、した事があるだろう。…ホテルに、デリヘルで……」
「…………。…………2、3日で帰って来るけど」
「あの女が行けばいいだろうが」
「……今度はメンズ向きの商品を選ぶんだって」
状況は解っているが、黒川は茶化してばかりでまともに取り合おうとしない。
「メンズ向きって、お前のどこに男要素があるんだよ」と、笑ってばかり。
また、下らない軽口ばかり叩いて、イツキを怒らせてしまうのではないかと
少し離れた場所でその話を聞いていた一ノ宮はハラハラしていた。
「………行っちゃ、駄目?」
もう一度訪ねてみる。
拒否される理由も何も無いのだけど、先刻即答した手前、体裁が悪いのか
黒川は返事をしない。
イツキは唇を尖らせ、ふんと鼻で息をする。
「………それじゃあ、俺、断って来る。
保護者の許可が下りませんって。
………マサヤが心配して、寂しがって、俺を外に出してくれないんですって」
「…そうとは言っていないだろう」
「じゃ、良い?」
そのやり取りに
一ノ宮はつい、笑いそうになってしまった。
posted by 白黒ぼたん at 23:53
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2022年05月13日
イツキの話・3
「…週明けの月曜日から3日間。新幹線の駅のトコにホテル取ってくれるって。
朝、ハーバルの本社に行って、そこから社長さんとあちこち回るだけ。水曜日には帰ってくるよ。
晩御飯の予定とかも…連絡した方がいい?」
「………しなくていい。俺はそこまで過干渉じゃないぞ」
「……そ?」
渋々ながら黒川の許可も得て、イツキはふふふと小さく笑う。
自分が外に出るのを黒川が嫌がることは知っている。
何かトラブルが起きるかも知れない、自分がつい呼び込んでしまうかも知れない。
万が一にもそうなった時でも…うまく対処は出来る。……自信は無いが。
「イツキくんだってもう子供では無いのですから、大丈夫でしょう」
横で成り行きを見守っていた一ノ宮が、ようやく口を挟む。
イツキは「そうそう」と言わんばかりに、頭を二、三縦に振る。
「ああ、向こうは松田氏のホームでしたね。…そう言えば彼、東京の仕事が片付いたので、向こうに戻るとか戻らないとか…」
「………はぁ?」
降って沸いた松田情報に黒川が顔を顰め、一ノ宮を見る。
アレが絡むのも、おそらく、ロクな事はない。
一ノ宮は黒川の気配に気付き、いささか失言だったと言葉を濁す。
「……まあ戻っていたとしても…イツキくんと接触は無いでしょう、多分…。」
「……どうだか。あいつはどこでも出てくるからな。石鹸屋のどこかで話が漏れているんだろうよ」
むしろ先に連絡をして、身辺警護でもさせるかと思う。
結局のところその花代が、高くついてしまうのかも知れないけれど。
posted by 白黒ぼたん at 17:58
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2022年05月16日
イツキの話・終
「…俺、別に、悪いこと、しないよ?」
「解っている。…そんな事を言っているんじゃない」
「…酔っ払って、色気振り撒いたりもしない。…した事、ないけど」
事務所から二人の部屋に戻り、リビングで話しの続きをする。
一応、了承は得たものの、未だ黒川は渋い顔をしていた。
帰りがけに買った焼き鳥のパックを温めて、ビールのアテにする。
「…松田さんにも、会わないよ?」
「……いや、どうせヤルなら奴にしておけ。問題が少ない」
「会わないし、ヤらないよ」
床にペタリと座っているイツキは、ソファの黒川を見上げる。
黒川は軽く視線を落とすも、すぐに、どうでも良い話だという風に顔を背け
ビールを煽り、付けっ放しのニュース番組を見る振りをする。
イツキは小さく息をつく。
この不機嫌さはおそらく、自分を心配してくれているのだと、思うことにする。
見知らぬ他の男にヤられたり……最悪、松田なら良いらしいが……何かトラブルを持ち込んだり。
それが、純粋に、身を案じてのことなのか、それとも
所有物に好き勝手されては困るとか、そういった意味合いのものなのか
どちらかなのは解らないのだが。
「……マサヤ、俺、ちゃんと帰って来るよ?」
「…当たり前だ」
この男が自分のことで揺れている様を見るのは、少し、楽しかった。
posted by 白黒ぼたん at 23:59
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2022年05月17日
変わったこと
ここ暫くで変わった事はいくつかあるが、まあ総じて
黒川が優しく、柔らかくなった事だろうか。
そんな事を本人に言えば、ふざけるなよと、まあ怒られそうだが
確かに、イツキに対する態度が、変わった。
イツキを気にかけ心配し、イツキが我儘な口をきいたとしても構わず受け入れる。
それは以前からもそうだったかも知れないが、表立って態度に出すことが多くなった。
隠しきれずに出てしまっている、と言う方が正解かも知れないが。
「………マサ…ヤ、……おれ、………もう…………無理なんだけど…」
「………そうか?」
ベッドの上で。
黒川に施される愛撫も、少し変わったのだろうか。
長く焦らして様子を楽しむのは今までもそうなのだけど、その節々で、何か
ふっと……上手く言葉には出来ないが……甘く優しい間合いが挟まれる。
顔を上げて目を合わせるだとか、イツキの顔に掛かった髪の毛を黒川が掻き上げるだとか。
そんな小さな事なのだけど、それだけでイツキは何か
今までに感じた事がないような、腹の奥が疼く感覚がして、戸惑う。
腰を浮かせて左右に振って、早く次へとねだってみるが
こんな時の我儘は、なかなか聞いてはくれない。
posted by 白黒ぼたん at 22:18
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2022年05月21日
月曜日の朝
イツキが出掛けてしまう日の、前の晩の黒川は、仕事という名の飲み会で
部屋に帰ったのは明け方近く。しかもまあまあの酔っ払いだった。
朝、巣箱から出たイツキは、寝室の酒臭さに驚く。
「…マサヤ、昨日は飲み過ぎ?……俺、そろそろ出ちゃうからね?」
「……どこに?」
「今日から出張だってば。…帰るの、明々後日の木曜だよ…」
「………ああ」
イツキが仕事で2、3日帰って来なくとも、別にそう、心配はしていない。
一応、二十歳の成人男子だ。電車にだって一人で乗れるのだろう。
出掛けた先でお楽しみがあっても、何かトラブルに巻き込まれても
自己責任だ。多少のことは自分で何とか出来るだろうし、いい加減、してもらわなければ困る。
黒川は本当に、そうは、思っているのだ。
「……イツキ。……行くの、止めろ。……俺と…いろよ」
酔いの残った、半分、眠りに落ちた呆けた様子で黒川がベッドから手を伸ばした時には
すでにイツキは身支度を済ませて、部屋を出て行った後だった。
posted by 白黒ぼたん at 22:41
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2022年05月23日
月曜日の昼
ハーバル本社へは電車でも約3時間ほど。
慣れてしまえばそう遠くはない気もする。
一番最初にこちらに来た時は在来線を乗り継ぎ乗り継ぎ…で、いやに遠くに来てしまったと思ったものだが…
新幹線を使えばあっという間だ。遠足気分で浮かれて買った弁当は、半分も食べられなかった。
もうじき到着と言う案内に驚き、イツキは広げた荷物を片付ける。
「……おお、イツキくん。久しぶり」
「社長さん。お久しぶりです」
新幹線を降りたところで、ハーバルの社長が迎えに来てくれていた。
ホテルはこの近くに取ってあるが、とりあえずここから車で本社に向かい、一つ用事を片付け
夜にはまた、こちらに戻ってくる予定。
「すみません、わざわざ迎えに来てもらっちゃって…。あ、コレ、東京のお土産です」
社長とは電話で話はするものの、直接会うのは数ヶ月ぶりだった。
イツキは、ミカに持たされた土産物を手渡し、ぺこりとお辞儀をする。
よくよく考えれば、考えなくとも……ほぼ身元不明のイツキを雇い、住むところまで面倒を見て
今では大事な東京での仕事を任せてくれているのだ。
いくら世間に疎いイツキでも、本当に、感謝している。
「いやいや、こっちの用事もあったから良いんだよ。どう、元気にしてる?
ああ、このバナナのやつ美味いんだよね。家内も好きでね。ありがとう」
社長はシワのある顔をさらにシワくちゃにして笑う。
白髪混じりの頭、スーツの上から作業用のジャケットを羽織った姿。
穏やかで優しそうな物腰は、どこぞの社長とはまるで違うものだった。
posted by 白黒ぼたん at 20:54
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2022年05月27日
月曜日の夜
この日は何事もなく無事に終わった。
ハーバルの社長の車で取引先をいくつか回った。
取引先と言ってもそう大きな場所ではなく、地元のショップやちょっとした趣味の店や。
土地柄なのかみな気の良いおじさんやおばさんといった感じ。出されたお茶で腹がたぷんたぷんになった。
以前、こちらにいた時に話をしたこともある人もいて
『…なんか、しばらく見ないウチに立派になったねぇ』などと言われ、少し照れ臭い気にもなった。
「…いや、でもイツキくん。本当に立派になったよ。こう言っちゃなんだけど…最初の頃は不安でさ、大丈夫かな、この子って思ってたもの。
それが今じゃ、ハーバルの大戦力だもの。頼りにしているよ」
車の中でも社長にそう言われて、イツキは「…いえ、そんな」と顔を赤らめた。
明日は10時にハーバル本社で待合せ。
予定を確認して、イツキは一人、宿泊先のホテルに入って行った。
車で移動しただけとは言え、慣れない仕事で流石に疲れていた。
「………晩御飯は………さっき社長と食べた牛丼がまだお腹に残ってるから………いいや。
…………ねむ…………」
ベッドに横になると途端に身体が重たくなる。食事も風呂もどうでも良く、ただただ、眠たくなる。
「…………おれ、すごい。……ちゃんと働いてる人、みたい……」
イツキはそう呟いて、ふふと笑って、
うっかりそのまま寝落ちしてしまった。
黒川に連絡を入れることも、忘れていた。
posted by 白黒ぼたん at 18:01
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