2022年06月02日

火曜日の朝








『……おはよ。マサヤ。昨日は連絡入れなくてごめんなさい。
ちゃんと着いてるよ。問題も無し。ホテル、良いところだよ。駅前のビジネスなんだけど温泉が付いてるの。
今日は本社に行って、何かの打ち合わせをするみたい。
じゃあ、行ってきます』





朝。そんなメッセージがイツキから届いていた。
何度か着信音が鳴っていたような気もするが…残念ながら黒川は、早朝の電話に出られる程、健全ではない。
しばらく経ってから、うつらうつらと目を覚まし、メッセージを確認する。

別に、声を聞きたい訳でもましてや動向を心配している訳でもない。

「ふん」と、気のない様子を見せ、覗いたケータイをまたベッドに投げ捨てた。




イツキも特に、必ず、黒川に連絡を入れなければいけないと思っている訳ではないのだが
ひとつひとつ確認と許可を得なければいけないと……考えてしまうのは……今までの生活の悪い癖だった。
黒川は保護者ではない。自分は所有物ではない。けれど

対等な間柄というのがどの程度の距離感のものなのか、未だ、解らないでいた。





「…よく、一人で来たねぇ。黒川さんに心配されなかった?……まあ、イツキくんもオトナだからね。
あ、オレ?…俺はここいら一帯のオブザーバーだからね。すぐ、情報、入って来ちゃう。ふふふ」





ホテルを出て電車で移動しハーバルの本社に向かうと

そこには、松田がいた。



どこからか情報を仕入れたのか、…まあ小さな町の中では少しでも変わったことがあれば目立つものだが…。
地元に戻り鬱々と仕事をこなしていた松田は、嬉々としてイツキの出張に、口を挟みにやって来たのだ。






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2022年06月03日

火曜日の午前中








松田はハーバルの社長とも話をしていた。

オブザーバーと言えば聞こえは良いが、平たく言えばケツ持ちというやつだ。
地元優良ヤクザの松田はあちこちの事業所に顔を出し、仕事に関係のあること無い事
適当に回し、適当に流し、まあ、そんな具合で。

イツキがこちらに来る話は、ハーバルの社長が漏らした訳ではないが
新規事業の打合せで東京のスタッフを呼んでいると聞けば、まあ、様子を見にくるのは当然だった。



「イツキくんとは東京でも会ったんだよ。向こうの、俺の仕事相手と、ちょっとアレで」
「はあ、そうだったんですか。世間は狭いもんですねぇ」

わざと曖昧な言い回しをして、松田は笑う。
ハーバルの社長は特に気にもしていないようだ。

「…松田さん、これから小山田商店さんに行きますけど、一緒にいらっしゃいます?」
「いや、行かねぇよ。イツキくんの顔、見に来ただけだから。小山田のオヤジによろしく言っておいてよ」



とりあえず、松田は何もなく、このまま帰るようで……イツキはほっとする。
その安心した顔を松田に見られて、慌てて無表情を取り繕う。



「…明日の夜、一席設けてるんでしょ?そっちに顔出すからさ。……じゃあね」





そう言って松田は軽く火種を燻らせて、今日のところは大人しく帰って行った。





posted by 白黒ぼたん at 23:41 | TrackBack(0) | 日記

2022年06月05日

火曜日の昼







午前中は小山田商店で打合せ。
新しい商品のパッケージなどを決める。
ハーバルにいた小森という女性は数ヶ月前に退職したそうで、
それ以来、何をするにも人手が足りないと社長がぼやいていた。



「もう、都内のデパート向けなんて、訳がわかんないよ。
小森さんは東京でお勤めだったからさ、そういうのも相談出来たんだけどさ。
ウチの石鹸なんて、受けるのかねぇ…」

「ハーバルの商品、すごく良いですよ。香りが自然だって、喜んで貰ってます。
パッケージも、シンプルなのが逆に、清潔感があって……」


昼食時。道路沿いの定食屋でイツキと社長はそんな話をする。
老齢の社長は、実を言えばこれ以上、商売の手を広げるつもりもないのだが
まあ何というか周りの圧もあり、渋々、販路拡大といった様子。


「あんまり大きくしちゃってもねぇ。おれ、困っちゃう」
「いいと思いますよ。良い物だから、ちゃんと受け入れて貰ってるんですよ」




お茶を飲みながら普通に話され、普通に話し、イツキは何か、安心感を覚える。

自分が頼られ、一人前の人として接して貰えているという事もある。

黒川の事務所で見かける、生きるか死ぬかの瀬戸際の事業主とは違う、というのもある。

ちゃんと真面目に考えよう、この恩義のあるおじさんのために何かしてあげよう、とイツキは真剣に思っていた。




「…カミさんがさ、せっかくなんだから乗っかりなって、五月蝿くってさ。
松田さんの口利きで工場も大きくしちゃったしね。……ああ、イツキくんって
松田さんとそんなに親しい感じだった? 東京でも何か繋がりがあったの?」

「ええと。……俺の知ってる人と…仕事仲間だった…的な感じですかね」




ハーバルの社長に言われ、イツキは曖昧に笑って誤魔化した。






『お昼ご飯はカツ煮定食。松田さんに会っちゃった』

空いた時間に、一応、黒川に連絡を入れる。黒川からの返信は短く一言

『やるなよ』

だった。





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2022年06月07日

火曜日の午後








一ノ宮が事務所に行くとそこにはすでに黒川がいた。
ソファに深く腰掛け、テーブルに足を投げ出し、ただ宙を睨んでいた。


「………お疲れさまです。………何か、問題でもありましたか?」
「いや、無い」
「…夜の会合は20時から…ですよね?」
「ああ。……そうだな、早く来すぎたな…」


何もせずにぼんやりと過ごすほど暇な男では無いはずだが、どうにも身が入らない様子。
まさかそれが、年下の情夫が家を留守にしているから…などという理由では無いとは思うが。

でも、まあ、そうなのだろうなと。
一ノ宮は思う。



「……イツキくんは…どうしてますかね。連絡はありましたか?」
「…松田が出たらしいぞ」
「おや、それは……随分と早耳ですね」
「もともと奴のシマだからな、どこかで話が漏れるんだろうよ」




黒川はソファの上の足を組み替え、ひとつ、息をつく。

一ノ宮はそれ以上は話しかける事もなく、デスクに向かい、自分の作業を進める。



……イツキの事を気に掛けている…のは、本人ももう解っているが、かと言ってそれを表に出すのは憚られる。
心配だからと手元におき、首に縄を掛け四六時中見張っている……そんな訳にも行かない。




黒川もおそらく、今までとは違うイツキとの距離感を模索しているのだろうと一ノ宮は思う。




思いながら、つい…、口元が緩み、慌てて咳払いをして誤魔化した。





posted by 白黒ぼたん at 23:07 | TrackBack(0) | 日記

2022年06月10日

火曜日の夜








イツキのその日の午後の仕事は、あまり、良いものでは無かった。



社長と一緒に挨拶に立ち寄った会社の男は、明らかにイツキ達を軽く見ていた。
その男は…小山というのだが…小山は元々都内の大企業に勤めていたらしく
未だにそれを鼻にかけ、自慢し、地元の小さな会社を小馬鹿にする癖があった。


『…ハーバルさんねぇ。そんなに張り切って、手、広げなくても良いんじゃないですか?
ハーブの石鹸って言っても、そこら辺のお婆ちゃんが庭先で作った草でしょ?
それが、銀座? 銀座に店、構えて……よくやるよねぇ。
……しかも担当者が…このお兄ちゃんでしょ?』



小山はイツキをジロジロと眺め、ふんと鼻で笑う。
社長は、自分達が小さい会社なのも解っているし、都内進出が分不相応なのも知っている。
そして、なにぶん人が良いので、穏やかに笑ってその場をいなす。


『……ははは。まあ、勉強のつもりでやらせて貰っています。…彼もね、若いけど、よく頑張っているんですよ。
銀座のデパートなんて、私みたいな爺さんじゃ勤まりませんからね』

『ふん。女の好きそうな商品だからね。こんな女みたいな兄ちゃんが丁度いいのかね』



そう言って、また、笑う。
イツキは女のようだからと、性的対象に見られることには…まあ慣れていたのだけど
今日のような言われ様には免疫がなく、何とも…居心地の悪い不愉快な気持ちになった。







その夜は、イツキと黒川の電話が繋がった。


「……今日はちょっと、疲れちゃった。やっぱり、仕事って、大変だよね…」
『……まあ、良いことばかりでも無いだろうよ、…お疲れさん』
「………マサヤ…」
『………ああ、……悪い、………いま……』



珍しく労いの言葉を掛ける黒川だったが


黒川はどこか、賑やかな店の中で話をしているようで…時々わっと楽しげな歓声が上がり
それ以上、話を続けることは出来なかった。
 




posted by 白黒ぼたん at 20:35 | TrackBack(0) | 日記

2022年06月14日

水曜日の朝








朝、ホテルの部屋で一人、起きたイツキは身支度を整え
昨日の内に買っていたコンビニのサンドイッチをつまみ
もう片方の手ではスマホを握りしめ、少し、しかめっ面を見せる。

昨夜の黒川はおそらく、どこか外の、賑やかな楽しげな場所にいた。
そういう場所に行くのも仕事の内だろうし、仮に仕事では無いにしても、いちいち詮索する事ではない。

何か連絡を入れようかとスマホの画面を覗き、…天気予報と星占いを確認し
サンドイッチの具材が落ちそうになるのを慌てて防ぐ。
……別に、話すこともない。電話を掛ける理由もない。
スマホをポケットにしまい、もう出掛ける時間だと、慌てて立ち上がった。



ハーバルの本社に向かう列車の中で
『俺も今日は飲み会。明日、帰ります』とだけメッセージを送る。
俺も、と、「も」にしたのはイツキのささやかな対抗心だったのかも知れないが
ささやかすぎて本人もましてや黒川も、気付くことはなかった。







黒川はこの朝。

実は付き合いの延長で、とあるホテルの一室で、女と一緒にいた。

イツキはこの朝、本当に、黒川に電話をしなくて、助かった。






posted by 白黒ぼたん at 09:25 | TrackBack(0) | 日記

2022年06月15日

水曜日の昼









一仕事を終えた黒川は、昼近くにマンションの自室に戻る。
あまり好きな仕事では無いのだが…付き合いもある。無下に断るのもオカシイだろう。

接待での流れや、商品の品定めなど、実はこういった機会は月に数度はあって
それはイツキに話す事柄でも無いし、ましてや謝罪も許しも、必要なものでは無い。

黒川はもう一度シャワーを浴び、夕方まで少し仮眠を取るかと寝室に向かう。
巣箱へのドアを開け中を確認するのは、いまや無意識の癖のようなものだった。

スマホを開き、今夜は飲み会だと言うイツキからのメッセージを読む。


『飲み過ぎるなよ。他のヤツとやるなよ』


とは、流石に……どの口が言う……と言うやつだろう。そうでなくとも干渉し過ぎる。
「…………まあ、好きにしろ……」
と、取り敢えず呟いて、スマホを枕元に放り投げた。







ハーバル本社では林田が顔を出していて、久しぶりに会うイツキにアレコレ話を振っていた。
新しく手掛ける商品のこと、地域の何とかコンペで一位を取ったこと、出来の悪い後輩のこと。

イツキは、そうなんですか、とにこやかに相槌を打ちながら



黒川からの、何の返信も告げないスマホを、ちらりと覗いた。





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2022年06月18日

水曜日の夜・1







出張の最終日。水曜日の夜はナカナカ大変だった。


二日、傍を離れただけでどうにも変な具合になってしまう黒川との関係を思いながら
午後は、林田の話を聞き流していたのだけど

『俺、近いうち、転勤なんだ。海外でも良いって希望、出してる』

などという話に、ドキリとしてしまった。

地元産業の架け橋的な商社に勤めているが、もっと視野を広げたいと思っていること。
幸い、会社でも能力を買って貰っている。勉強出来る内に勉強させて貰い
行く行くはもっと、地域の為に貢献出来る様な仕事を興したいと思っていること。

イツキの前で多少格好を付けた部分もあるのだろうが、素直に、偉いなと思う。
自分には、出来ない仕事だけれど、自分でも何か、もっと、ちゃんとした…
何かが出来るものだろうかと……漠然とした、不安のような…期待のような

そんな気持ちが起き、ザワザワしてしまった。






「……なんだよ。シケた宴会だな。コンパニオンもいないのか。
じゃあ、まあ、お前でいいや。隣、座れよ。ちょっとは雰囲気、出るだろう」


そうかと思えば、夜は夜で、また違う意味でザワザワする。

夜は、ハーバルと取引のある数社で、ちょっとした飲みの席が用意されたのだが
昨日出会った、あの、イツキを小馬鹿にしていた男も招かれていたのだ。





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2022年06月21日

水曜日の夜・2








この宴席はハーバルが主催では無かったが
ハーバルの新規事業のお披露目なども兼ねて、関係業者が開いてくれたものだった。
地元の寿司屋の二階の座敷。呼ばれたのは20名ほどだろうか。
社長はあちこちに挨拶に周り、イツキもそれにくっついて、ヨロシクオネガイシマスと
頭を下げる。
穏やかな、和気藹々とした席だったが……あの男の傍だけは違った。



「……まったく、酒も料理も大した事もない。
…赤坂に、俺が贔屓にしている店があるが、違うよなぁ、格ってモンがさ。
まあ、こんな所と比べても話になんないけどさ…」


小山はイツキを隣に座らせ、どうでも良い愚痴や自慢を垂れ流す。
そのくせ、少し立場が上の人物を見掛けると、すぐに腰を上げ、擦り寄りおべっかを使う。
イツキは当然この男が気に入らなかったが、一応取り引き先の人物で無下に扱うことも出来ない。
適当に微笑み、スゴイデスネーと相槌を打ち、早く時間が過ぎることだけを待つ。

「……閣僚の先生方のパーティーの時はホテルで300人規模で……」

話しながら、空になったグラスをイツキに向け、酒を注げと催促する。
少しでもタイミングが合わなければ舌打ちし「……気が利かないな、こんなの基本でしょ」と言う。



ふと、部屋の奥にいたハーバルの社長と目が合う。
社長はイツキに、……面倒な役を引き受けて貰って申し訳ない、と言う風に
手を前で小さく切り、頭を下げていた。





それでもまだここまでは、イツキは、冷静でいられた。





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2022年06月23日

水曜日の夜・3








合間に、イツキは電話に出る。
飲みの席で、とも思ったが、少しでも隣の男から離れる理由が欲しかった。

席を立ち、廊下に出て、黒川の声を聞く。



『……騒がしいな』
「夜は飲み会だって言ったじゃん。…お疲れ様会、みたいな…」
『松田は来てるのか?』
「来てないよ」


……黒川は松田の存在を気にしているようだが、それはイツキも同じだった。
確か、この宴席には来ると言っていたが、予定が変わったのか、まだ姿は見えない。

もっとも今は、それ以上にタチの悪い男に絡まれていて、辟易としているのだが。


「……ヤな酔っ払いに絡まれてて、大変…」
『適当にあしらっておけ。…得意だろう?』


つい愚痴を溢すイツキを、黒川はいつもの調子で流す。それがどこか、イツキの気に障る。


「…得意なこと、していいなら、するけど。
……マサヤも昨日はお楽しみだったんでしょ? 得意なことでも、した?」


何を言っても鼻で笑い、まともに取り合わない黒川に、同じ言葉を返す。
そう意味もない、ただの言葉遊び程度のつもりだったのだが


『楽しいもクソもあるかよ、抱くのも仕事の内だ………』


……結果、知りたくもない話を聞いてしまった。








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2022年06月24日

水曜日の夜・4









『……へー、……そう。……ふぅん。…………じゃあね』


イツキの電話はそんな言葉を残して切れた。
黒川は、もしかして自分は余計な事を言ったのではないかと、少し、思った。





通話を終えたイツキはスマホをポケットに仕舞い、溜息…というよりは強い鼻息を立てる。
黒川が仕事絡みで女性を相手にすることがあるのは……解ってはいるが、あえてそれを聞きたい訳ではない。
嫉妬だと認めてしまうのも酷く癪に障る。

イツキはもう一度大きなため息を付いて、宴席へと戻る。
一度席を離れたのだから、もう、あの男の隣に戻る必要もないと思っていたが…

ちらりと伺うと、男の前には、ハーバルの社長が呼びつけられていた。

男は笑い声を上げ、楽しげにしていたが、やはりどこか威圧的で
あまり酒に強くない社長のグラスに波々と日本酒を注ぎ、早く飲み干せと煽っていた。



「……いや、私、そんなには飲めないんですよ。女房にも止められてまして…」
「ハァ? 何言ってるの。そんなんじゃ付き合いも何も無いでしょう」
「…いや、……はあ」


仕方なく社長はグラスに2、3口、口を付けると、すかさず男は注ぎ足し煽る。
社長は弱り切り、申し訳無いと言った風に頭を下げる。
男は馬鹿にしたように笑い、その上、不機嫌さを滲ませていた。




「じゃあ俺が頂きます」



イツキは社長の隣にすっと、座り、持っていたグラスを受け取ると

その酒を、一気に飲み干した。






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2022年06月28日

水曜日の夜・5







グラスの日本酒を一気に飲み干し、イツキは得意の、得意の笑みを浮かべる。
目立たぬ所でハーバルの社長にはササッと手をやり、この場は俺にと目配せする。


「……え、何? お前、飲めるんだったの?」
「だって。……小山さま、注いで下さらなかったから」


上目遣いで少し見つめて、視線を外し、恥じらうように笑み、そのくせ次をとグラスを差し出す。
小山は意外な顔を見せたがそれでも楽しそうで、また、イツキを隣に座らせると、空いたグラスに酒を注ぐ。

ハーバルの社長とは何か仕事の話もしていたかもしれないが、もうどうでも良いという風。
社長も、申し訳ないという様子をイツキに見せながら、その場から離れて行った。




「………小山さまが、女の子がいい、女の子がいいって言うから……
お酒の相手は俺なんかじゃ、……駄目なんだろうなって…思って」
「そりゃ………、いや、まあ、……お前でいいや。飲め、飲め」


小山は勿論ノーマルで、男子のイツキをどうこうする気は無かったのだが………
ニコリと笑う、その気のイツキを前にしては……無意識にでも鼻の下が伸びる。
本人でも気付いていなかった性的な欲求を掻き乱す何かが、こと密やかにイツキから、洩れ出す。


「…うちの社長と、何、話してたんですか?……あんまり苛めちゃ駄目ですよ?」
「……いやいや。戦略的に…ハーバルは……営業利益が低いくせに……外にばっかり出て……」
「…弱いトコ、補って下さるのが…小山さまのトコでしょ?…………ね?」



注がれた酒をきちんと空にして、イツキは今度は、小山のグラスに酒を満たした。






黒川との短い電話のせいで、イツキの、何かのスイッチが入っていた。






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2022年06月30日

水曜日の夜・6







 
どこまでを意識して、どこを目的としているのか。それとも、何も考えていないのか。





小山の隣りのイツキは足を崩すでもなく、服をはだけるでもなく、シナを作るでも無かったが
指先の動きも目線の遣り方も、いちいちが……小山の気に障った。
……初対面から、男にしては綺麗な顔立ちだ思っていたが、…ただの経験も実力もない若者だ。
適当にあしらい、鼻で笑い、酒でも注がせれば丁度いいと…そう思っていたのだが

急に様子が変わった。小山はいつの間にか、とぷんと、生温い沼に沈んでしまったようだ。
気付いた時にはもう、息すら出来ない。


「………あー、……しかしな、こんな田舎の寿司屋じゃ、大した酒も置いてない……」
「…俺、銘柄とかは良く解らないんです。………すーって飲めるのが好き」
「…辛口の酒も一時流行ったが…俺に言わせりゃ子供の酒だ。………旨味が…」


会話の途中で視線が合い、言葉が詰まる。イツキは微かに微笑み、小山の目の奥を覗き
そうしながら、手元のグラスを口にやり、また空にしてしまう。


「………きっと、美味しいお酒、いっぱいご存じなんでしょうねぇ」
「…ま、まあな。……先月は九州に行って…、ああ、接待で仕方なく呼ばれたんだが、向こうは…」
「……ふふ。まあ、今日のトコは、俺の酒で我慢して下さい」


そう言ってイツキは小山のグラスに酒を注ぐ。
と、と、と……と言いながら、表面が盛り上がるほど注ぎ、「当然、飲みきりますよね?」という目で見つめる。




そんなやりとりを二、三度し、今度は小山がイツキに酒を注ごうとするとイツキは

「…………おれ、………飲み過ぎかも………」

と、とろんとした目をして、小山の手を止めようとする。

当然、小山の手の平に、自分の手を重ね

中指の指の腹だけを、微かに滑らせる。






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