2023年05月01日

三浦の誘い








数日後の夕方。
閉店したハーバルに鍵を掛け、帰ろうと歩き出した時
イツキは久しぶりに三浦を見掛けた。

珍しく店を開けていたらしい。
自分の店の前で常連の年寄りと立ち話をし、じゃあな、と見送り、
振り返りざまにイツキと目が合う。


あまり関わらない方が良い、というのは解っているのだが
気にならないといえば嘘になる。

とりあえずぺこりと頭を下げ、お疲れさまです、声を掛け
その前を通り過ぎようとしたのだが……なんとなく、視線を向けてしまう。


「久しぶりぶりじゃん?イツキてんちょ。元気にしてた?」
「……久しぶりなのは三浦さんでしょ?……お店も、ずっと閉まっていたし…」
「あー、…まあ、ちょっと用事があってね」


三浦は歯切れの悪い様子で口籠もり、はははと笑って誤魔化しながら自分の店のシャッターを下ろしていた。
どうやらこちらも閉店らしい……と、言うか
常連客のために少しだけ店を開けていた、という程度のようだ。


「もう帰るんでしょ?イツキてんちょ。…ちょっとメシでも食って行こうよ」
「………いや、いいです……」
「話したいことも聞きたい事もあるでしょ。立ち話もナンだしさ」



そう言って三浦は、半ば強引にイツキを誘う。
イツキは一応、警戒はするのだけど


確かに聞きたい事はある。

何も状況が解らないままでは事に備えることも出来ないと

三浦の誘いに乗ることにした。





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2023年05月03日

一杯目









「…ごめんね、こんな居酒屋で。あー、カクテルとかある店の方が良かったかな」
「いえ、大丈夫です」

三浦と訪れたのは駅前商店街の、一本裏手に入った小さな居酒屋だった。
三浦は店主と顔馴染みのようで、よう、と片手を挙げ挨拶をし、ビールを2つ注文する。

「一度ゆっくり、イツキてんちょと話がしたかったんだよね」
「…いつもお店で話しているじゃないですか」
「ええ、でも仕事中じゃない。俺、一応遠慮して、あんまり話し掛けないようにしてるんだぜ?」
「……あれで、ですか?」

イツキは半分呆れたように鼻で息をする。
三浦は冗談だと解っているようで、ハハハと豪快に笑う。

「まあ、とりあえず乾杯ね」

そう言って、テーブルに運ばれて来たビールジョッキを手に持ちイツキの前に掲げた。




「お、イツキてんちょ、イケる口だね?」




喉も乾いていた事もあり、イツキはジョッキの半分までを一気に流し込む。
ジョッキもビールも丁度良く冷え、突き出しの煮物の塩加減もいい。


「最近の若者はビール、付き合ってくれなくてさ。おじさん、つまんないよ」
「………三浦さんって……お幾つなんですか?」
「ん?幾つに見える」
「……………いや、別にいいですけど」


三浦の軽い口調が若干面倒で、イツキは少し嫌な顔をしてしまう。
三浦は、そうなる事が解ってやっていたようで、ハハハと笑い、ビールを煽る。



「…30、か32…ぐらい。か?…言うほどおじさんじゃないんだけどね」
「そうですか」


聞いた割には大した感想もなく、イツキは1杯目のビールを飲み干した。






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2023年05月05日

二杯目







「……三浦さん、ここ3、4日、見掛けなくて…
お店も開けて無かったですよね?…どうしていたんですか?」


二杯目のビールに口をつけたところで、イツキはようやく本題に入る。
三浦は、もうその話?といった様子で少し目を丸くし、その目でイツキを伺い見る。
よく言えば屈託のない、悪びれたところのない表情。
逆にこちらがやましさを抱えているのではないかと、イツキは変な気分になる。


「寂しかった?」
「…そういう話じゃないです」
「ええー、寂しかったって言いなよ、イツキてんちょ」


軽口ばかりの三浦を、イツキはチラリと睨み
口を真一文字に結び、明らかに不満げな顔を見せる。

これには三浦も、少し、茶化し過ぎたかと慌てた。


「…あー、いや、なに。実はさ、週末に競馬で当ててさ
ちょっと、ぱあっと…遊んでた…的な?」

「………真面目な話ですか? それで、店も閉めちゃうんですか?」

「あはは。あの店はもう、半分閉まってるみたいなモンだし。
……今日は佐々木の爺さんが来るっていうから少し開けたけど…」



今度はイツキの方が目を丸くし、三浦の話を聞く。
もともと、商売には気のない素振りだったが、そんな事で良いのかと
信じ難くて、三浦をまじまじと眺めてしまった。



イツキに見つめられた三浦は、妙に気恥ずかしく、

二杯目のビールを飲み干す。






posted by 白黒ぼたん at 23:46 | TrackBack(0) | 日記

2023年05月08日

三杯目









「イツキてんちょ、次、どうする?
俺、焼酎のボトルがあるからそっちにするけど…一緒に飲む?」

「じゃ、一緒に。…あ、でも俺、すごく薄く、でお願いします」

「薄くね、了解。梅干し入れるよ?



薄めの水割り、その通り叶えられた話は聞いた事がない。
三浦はテーブルに運ばれたマイボトルと、氷、水のセットを前に
楽しげに微笑みながら、イツキのグラスを作っていた。 



「……あー、あの店はさ、親の名義でさ…
2年前に親父がガンで死んで…おふくろもすぐに死んじゃって…で、
何となく、手放せないでいるんだよね……。
商売する気は無いんだけどさ、親父たちの馴染みのお客さんとかが来てくれると思うと…
なんとなくね……」


そんな話を、三浦はグラスの氷をカランと鳴らしながらする。
聞けば案外、いいとこの坊ちゃん風。両親は他界したものの、あちこちに資産を残しており
基本、生活には困らないようだ。

少し、寂しげな
憂のある顔をされると、
イツキもつい、ほだされてしまう。



「…じゃあ、もっと、お店、大事にすると良いですよ。来てくれる人、いるんですから…」
「んー、でも俺、仕事すんの、好きじゃないんだよねぇ…」



しんみりとしたかと思えば、三浦はハハハと軽く笑い、店主に追加のツマミと氷を頼んだりする。
イツキはマドラーで、グラスの底の梅干しをカツカツ崩しながら、

この男に言葉は通じているのだろうかと、少し不安になる。



「…三浦さんがいなかった時、変な人が来ましたよ?
……ヤクザっぽい人。……三浦さんのこと、探してましたよ?」



イツキは自分のグラスを空にして、ついに本題に切り込んでみる。



三浦は



一瞬、息を飲み、そうしながらも、イツキの新しいグラスを作る。






posted by 白黒ぼたん at 11:58 | TrackBack(0) | 日記

2023年05月10日

四杯目







「……何か、どこかで…トラブルがあった…とか?
……それもあって、お店にあんまり顔を出さなかった……とか?」


イツキは新しい水割りのグラスに口を付けながら、探るように、上目遣いで三浦を見る。
もっとも、探られる気も、威嚇される気も、全くしない。
少し酔いが回ってきたのか、ほんのりと顔が赤い。
目が潤んで見えるのは、ただの店の照明のせいなのか。


「…ヤクザと言えば。
イツキてんちょ、ヤクザと付き合ってるの?」

「………えっっっ」


あまりの反応の良さに、つい、三浦は吹き出しそうになる。
イツキは慌てて取り澄まし、何も無かったかのように酒を飲む。
三浦はイツキの狼狽ぶりを確認しながら、話を続ける。


「ほら、車で送って貰ったって日。…俺、あの車見たとき、うわ、ヤクザが来たって思ったんだよ。
そしたらイツキてんちょが出て来たじゃない?
…ちょっと怖い感じの人とさ。…なんか、雰囲気あってさ。
あれって……、何?」

「……三浦さん、話が変わっています。今は俺の話じゃないでしょ。
あれは…そんなのじゃないし、第一、三浦さんには関係ない事です」

「…ふぅん。…じゃあ、俺の話も関係ないや」



相変わらずの軽い調子。
のらりくらりと話をかわし、ハハハと笑い、三浦は酒を飲む。
イツキは三浦の言葉に返事を詰まらせ、口を尖らせ、不機嫌そうにしている。
その表情だけで、まだまだ酒が飲めると、三浦は思う。


ハーバルの店舗で会っている時から、綺麗な顔をしているとは思っていたが
夜の席で見るとまた違う。
淡々と冷静に応答しているようで感情が漏れやすく、そして何か、艶っぽい。


不機嫌そうに伏せた顔から、チラリと視線だけ寄越されると
その奥にさらに踏み込んでみたくなり、知らず、身を乗り出す。





posted by 白黒ぼたん at 23:00 | TrackBack(0) | 日記

2023年05月13日

五杯目







もとより狭い店。テーブルも小さ目。
向かい合い互いに身を乗り出すと、思いのほか顔が近寄ってしまう。
そんな時、普通に知り合いや友達同士なら「近い近い」と笑い
距離を取る、ただそれだけの事なのに

ぐっと身を乗り出した三浦は、同じように身を乗り出したイツキと
前髪が触れるほどの近さになり、そのまま

イツキの視線に捕まってしまった。



「……関係、ないなら…いいんですけど。いちお、心配…してるんです」



イツキは視線を絡めながらそう呟き、ふうと、ため息を漏らす。
まともに取り合ってくれない事が淋しいといった風に一度、目を伏せる。
両手に持ったままのグラスを、くるんと回す。氷がカランと鳴る。
そして、緞帳のようにゆっくりとまぶたが上ると、長いまつ毛の奥の瞳が
ふたたび三浦を捕える。

三浦の背筋にぞくりと虫唾が走る。その感覚はまだ、欲情ではなく
何か、解らないものに触れた時の好奇心や…恐怖感に似ていた。




「…三浦さん…」
「…え、…なに、イツキてんちょ……」

「…おれ、グラス空なんですけど…どうしたらいいと思います?」

「あっ、ごめん。すぐ…、あっ…氷、氷…ない…」



思わず三浦の声は裏返る。
ボトルを手に取り、空のグラスを引き寄せ、アイスペールの中を覗き込み、慌てる。
店主に氷を貰おうと立ち上がり、勢い、テーブルの角に足をぶつけ、派手な音を立てた。


丁度その時、入り口の引き戸が開き、1人の客が中に入って来た。






posted by 白黒ぼたん at 00:36 | TrackBack(0) | 日記

2023年05月16日

入ってきた男








ふらりと入って来た男はそのまま入り口近くのカウンター席に座る。
イツキは入り口に背を向けて座っていたので、気付いていないようだが
三浦は、なんとなく目に付いて、動きを追ってしまった。

見掛けない顔。
気のせいだろうか、こちらの様子を伺っているようだ。


「……三浦さん?」
「ん?あ、ああ。……ね、イツキてんちょ、店、変えようか?」


何か後ろ暗いところがあるのだろうか。
椅子に座り直した三浦は目立たないようにと背を丸くし
イツキの方に身を乗り出し、耳元で小さな声で囁く。

単純に、店を出たかっただけなのだが

これではまるで意中の相手を次に誘っているようだと、三浦自身がはっとする。


空のグラスに口を付けたままのイツキは目線だけを上にあげ、三浦を見る。




「…次、は、どこに行くんですか?」
「…え、いや。飲み直しても良いし……、なんか、別の……」
「……別の?」
「………別の……」



別の何があるのだろうと、またまた三浦は自分の言葉にはっとする。
この子と話をしていると、どうも流れがおかしくなると…気付いた時にはすでに遅い。



「いや。まあ…、とにかく、一回、出ようか……」


半ば慌てて三浦はそう言い、席を立ち、会計を済ませる。
イツキも立ち上がり、歩き出す、千鳥足という訳ではないが、どこか覚束無い。


ふわりとよろけそうになったイツキの腕を取ったのは



カウンターに座っていた、新しい客だった。






posted by 白黒ぼたん at 18:56 | TrackBack(0) | 日記

2023年05月18日

想定外








三浦には
ちょっとしたチンピラ風情に付き纏われる心当たりがある。
自分の店を留守がちにするのも、ハーバルに入り浸るのにも、その辺りの事情で

今日の飲み屋の、見掛けない新顔も……自分が関係することなのかと思っていたのだが



「……飲み過ぎだろ。もう、帰るぞ、イツキ」



カウンター席に座りこちらの様子を伺っていた男はイツキの知人なのか。
イツキの腕を掴んで、そう言う。

イツキはそれまでその男の存在などまったく気付いていなかったようで、

顔を上げ、男の顔を見て、酷く驚いている様子だった。









「……あれ、ただの一般人だろ?…お前、どこでもオトコ、タラし込むの止めろよな…」
「……タラしてないよ。…仕事終わりに一杯、飲んでただけだよ」
「一杯じゃねぇし。…そのまま、持ち帰られる気マンマンだったろ?」
「違うし」


男は、近くのパーキングに止めていた自分の車に、イツキを乗せる。
途中で買ったスポーツドリンクをイツキにに渡し、ハンドルを握り、呆れたように大きなため息を付く。



「……違うし。そんなんじゃないし。……だいたい、……何で、佐野っちが来てんのさ?」
「知るかよ」



イツキは

馬鹿だが、そう、馬鹿でもない。





『ハーバル近くの居酒屋で、三浦さんと、軽く飲んで帰ります』
と、事前に黒川に連絡をしていたのだ。
特別帰りが遅いとか何か……、最悪、迎えに来て貰るだろうと……、思っていたのだが

それに、佐野が駆り出されるとは、少々、想定外だった。



「社長に言われりゃ仕方ねぇだろ。…ほら、シートベルト付けたか? 行くぞ。


……ったく。……ヤリマンが………」





佐野のささやかな愚痴は、意外に、イツキの耳に届いていた。






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2023年05月20日

仏頂面









助手席のイツキは仏頂面で、窓の外ばかり眺めている。
運転手の佐野は不満を抱えながらも少し言い過ぎたか、と、ハンドルを握りながら反省する。


イツキは社長の「女」で
自分は社長の手下なのだから
こうやって、迎えに行くのは当たり前の事だ。
…西崎が囲っている店の女の子の送迎も、良くある、別に、何のこともない。

それが、こと、相手がイツキだと……どうもささくれ立つ。
まして、飲み過ぎ、ほんの少し突いただけで何かが漏れ出しそうな身体を
隣に置いて、平常心ではいられない。



「………社長が…、ちょうど俺ん事務所にいた時で…、まだ仕事がバタついててよ……
俺に、迎えに行けって……」

「…ふぅん」

「まあ、いいタイミングだったろ?お前、あのまま、ヤラれるコースだったろ?」




冗談めかして言う佐野に
イツキは仏頂面のまま、ちらりと、視線だけを佐野に向ける。


相変わらずの……、いや、自分が知っている時より遥かにヤバい色香に
佐野はごくりと生唾を飲み込む。


以前にアレコレ、イツキと関係のあった自分に、こんな用事を頼むという事は
多少、間違いがあっても構わない、という事なのかと………佐野は思う。
イツキとの仲は、社長も黙認しているのだ。
面倒を掛ける、その手間賃と、……きっと大目に見てくれる。…ような気がする。


車は都心に近付き、それと同時に


道路沿いにキラキラと、2人を誘うホテルの看板が瞬いていた。








「……俺、……しないよ? ちゃんと帰ってね、佐野っち」





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2023年05月25日

追憶









イツキがマンションの部屋に帰って来た時、まだ黒川は仕事から帰っていなかった。
とりあえずイツキは風呂場に向かい、今日一日のアレコレを全て洗い流す。
すでに酒は抜けていたが、微かに頭が痛い。何か、変な飲み方をしたかと
反省しかけたのだが……、止めて、ハーバルの石鹸で顔を洗った。



結局、佐野とは、何も無かったが



帰りの車内で、ずっと、愚痴と言うか嫌味と言うか…恨みがましい事や
もしくは、本当に好きなんだぜ……などという言葉を聞いていた。

イツキも佐野は、嫌いな訳でなはい。
けれどだからといって、気楽に行為に及ぶ訳にもいかない。

お互い、昔の、一緒にいた時間の記憶が胸の奥底でチラチラと瞬く。
満ち足りて幸福、とは違うが。それでも確かに、互いを必要として、満ちていた。

指先の感触も汗の匂いも、まだ、鮮明に思い出せる。
それだけで十分に、身体が疼く。

  







イツキは風呂から上がり、台所に向かい、冷蔵庫の中からパックの牛乳と取り
そのまま立ったままラッパ飲みをする。

『………本当にしたいんだったら…、グダグダ言ってないで、…来ればいいのに。
変なとこで遠慮する……、佐野っち…の……、ばか」

口元を手の甲で拭いながら、そう呟くイツキは
やはり、まだ、少し酔いが残っているようだった。









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2023年05月26日

夜の雰囲気








寝室に入り、ベッドの毛布に潜り込み、ぎゅっと目を閉じても
イツキはなかなか眠りにつくことが出来なかった。
考えてみれば、久しぶりの、夜の雰囲気。
三浦も、佐野も、すぐに身体の関係になる訳ではないのだが
……そうなるかも知れない、という可能性だけでも
イツキを乱すのには十分だった。


イツキが、例の「仕事」をしなくなってもう大分経つが
あの時の記憶も感覚も、まだ嫌というほど身体に残っている。
決して、良いものではない。けれど
身体の芯まで熱く溶け、疼き痺れる……あれは、やはり甘美な蜜で
時折、どうしようもなく欲しくなり、困る。


直接触っては、何やら負けた気分になるので
手を、太ももの間に挟み、もじもじとする。
こんな事なら、佐野としてしまえば良かったし
あと暫く黒川が帰って来なければ、再び夜の街に出掛けてしまうのも悪くはない。


適当な男を見つけて、ああ、もう、誰でもいい。
腕を掴まれ、激しく乱暴に身体を開かれ、勢い貫いて欲しい。
痛みは、快楽と裏表で、酷ければ酷いほど、いい。
泣き叫ぶ声と一緒に、自分の中のドロドロとした膿を、全て出し切ってしまいたい。



「………マサヤ、早く帰ってくるといいのに……」



イツキは切実な言葉を溢し
身体を丸めて、ただただ、欲望をやり過ごした。







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