2023年06月01日
仕事終わりの黒川
夜中を過ぎて黒川が部屋に戻ると
そこにイツキの姿は無かった。
黒川は意外と忙しい。
人に会ったり、書類に判を捺したり、どうしても本人でなければいけない仕事も幾つかある。
西崎の事務所で面倒な案件を片付けている最中に、イツキから迎えに来て欲しいと連絡があった。
「……阿呆か。……俺を何だと思っているんだ……」
思わず吐いた悪態に、何事かと西崎が顔を向けた。
結局、迎えには、その場にいた佐野に行かせた。
わざわざ連絡を寄越した事は、まあ、良い事だとは思う。
……シラフでもトラブルを招くイツキだ。酒を飲めばさらに確率は増す。
迎えの佐野に、問題が無い訳では無かったが
何かあったところでタカが知れている。それ位は、駄賃だろう。
それでも数時間過ぎた頃、佐野から「送り届けました」と連絡が入り
少し、安堵する。
あいつもそうそう馬鹿ではないとほくそ笑み、その顔をまた西崎が、何事かと見返していた。
けれど、結局、イツキはいない。
寝室と隣の巣箱と、リビングと、風呂もトイレも覗き込んで…少し戸惑う。
もう一度スマホを手に取り、他に何か連絡が入っていないかと確認する。
台所には使った様子のグラスが置いてあり、傍にあるタオルはまだ湿っている。
確かに、イツキが帰って来た気配はあるのだが、当の本人がいない。
「……なんだ…あいつ。……またどこかで……」
カッと頭に血が昇るか、もしくは、胃がキリキリと痛み出すか
ともかくその寸でのところで、玄関のドアが開き、イツキが入って来た。
イツキは、黒川が帰っていることに驚き、さらに台所にたちすくんでいることにも驚く。
「……おかえり。何やってるの、マサヤ?」
「…何は…お前だろう。どこで遊び呆けて……」
「寝付けないからコンビニ行って来た。もう、牛乳、無くなっちゃったし」
イツキは何食わぬ顔でそう言い、手に持っていた袋から牛乳やら菓子パンやらを出す。
それらを片付けながら、まだ脇で突っ立っている黒川に、冷ややかな目を向ける。
「…ちゃんと、マサヤが迎えに来なくちゃ駄目でしょ。俺のこと、心配でしょ?」
「………あ、ああ」
イツキの謎の気迫に気押されて、
黒川は思わず、そう返事をした。
posted by 白黒ぼたん at 00:39
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2023年06月06日
翌日のハーバル
店内は妙な空気感だった。
三浦は開店早々やって来ては、本来はお客様用の椅子に座る。
白を基調とした小ぶりのテーブルセットは、三浦が座るには不似合いで
おまけにそこで競馬新聞など広げられては、イメージが台無しといったところ。
レジカウンターの奥ではパートの横山が帳簿を開き
朝から居座る三浦を苦々しく眺め、あからさまな溜息を繰り返す。
それでも、邪魔ですと強く言えないのは
先日、少し言い過ぎてしまった事を、気にしているためだった。
「……三浦さん。…待っていても、イツキ店長、来ませんよ?
今日は午後からって、連絡ありましたもん……」
「…うん。でも、まあ、来るかも知れないじゃん。ちょっと、顔、見たくてさ…」
「意味が解りませんけど。ああ、もう、お客さま来たらソコ、どいて下さいよ」
横山のもっともな小言を他所に、三浦は、イツキの出勤を待つもりだった。
昨夜、一緒に酒を飲んだイツキは、何か、今まで知っていたイツキと違う人のようだった。
不思議な感覚。違和感。その理由は、まだ三浦は知らない。
迎えに来たという男も、変だ。ヤクザやチンピラと言った類の風体。それが何故、来るのか。
……先日の朝、車に乗って来た男も変だし、……ああ、店にも世話役とかいう男が出入りしていたし。
別に、イツキに会って、その疑問の全てをぶつけるつもりでは無いのだけど
ただ、なんとなく、顔が見たくて、三浦はイツキを待つのだった。
その頃のイツキはと言えば
黒川が、なかなか手放さず
それはそれで大変だった。
posted by 白黒ぼたん at 00:17
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2023年06月08日
柔らかい手
その夜はいつもより暗かった。
普段は付けている壁際の淡い照明も、ベッドの足元のライトも、たまたま消えていた。
もっとも、すでに身体を寄せ合っているのだし、今更、何をどう間違えることもない。
唇を重ね、指先が肌を謎る。目を瞑っていても判る、馴染んだ身体。
「……マサヤ?」
「うん、何だ…」
「……ん。……何でもない…」
最中に、イツキは黒川の腕を掴み、声を掛ける。
表情は見えないが、何か、不安げな声色。
間違えて挿れる穴は無いしと、黒川は一瞬思い、少し鼻で笑う。
その様子にイツキが気付く筈もなく、さらにもう一度、黒川の腕をきゅっと掴む。
「……何だよ?」
「……ううん」
「言えよ。……どうした、イツキ?」
…足りないのか、と、黒川はイツキの腰に手をやり、ぐっと自身を奥へ進めてみる。
イツキは上擦った声を上げ、それなりの反応を見せたものの
まだ、黒川の腕を掴んだままだった。
指先に、力が入る。
まるで必死に、しがみついているように。
「……真っ暗過ぎるの…、ちょっと嫌かも。
……目の前にいるの、マサヤだって……解ってるけど……
ちょっと、………こわい……」
と、そんな事を言うイツキは
………以前の、誰とも知らない男達の相手をしていた時のことを思い出したのかも知れない。
黒川は呆れたように溜息をつき、「……馬鹿か」と溢しながらも
イツキの身体を抱き寄せる手は、柔らかかった。
posted by 白黒ぼたん at 23:51
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2023年06月12日
夕方のハーバル
「……呆れた! それで三浦さん、朝からずっとここにいたんですか?」
その日、イツキがハーバルに着いたのは夕方に近い時間だった。
店内の隅にあるお客様用の可愛い椅子には、三浦が、だらしなく座ったまま。
パートの横山は三浦に対し、ブツブツと文句を言いながら、イツキと入れ違いに退社して行った。
「もう、待ちくたびれたよ。イツキてんちょ…」
「じゃあ待たなければ良かったでしょ。…自分のお店は放っていて良いんですか?」
「用があれば、ここに呼びに来てくれるよ。ハハ…」
「……三浦さん……」
イツキは溜息を付いて、手に持っていた商品のカタログをぱたんと閉じる。
三浦にそう悪気が無い事は解るが、ちょっと、度が過ぎているように思う。
パートの横山にも気の毒な話だ。仕事にならなかっただろう。
「…ここに来たいのか、自分の所にいたく無いのか…、どちらにせよ……ちょっと…
ウチは若い女性のお客さまも多いですし……居座られると…困る……」
「………あ、待って……」
意を決してイツキが三浦にそう話をしていると、とつぜん三浦が腰を上げ、窓の外を気にする。
そうかと思えば今度は身を屈め、商品棚に隠れるようにしながら、イツキがいるカウンターの中に入って来た。
カウンターの奥にはイツキたちが着替えなどに使う小部屋があり、簡単なカーテンで仕切られている。
三浦はそこに潜り込み、身を隠す。
「何ですかっ。駄目ですよ、ここ、大事なもの多いんですから…」
「いや、ごめん。ちょっと、……ごめん」
三浦の慌てた様子に何が起きたのだろうと…イツキは辺りを見渡し、すぐに、その理由に気付く。
窓の外。
三浦の店の前には見慣れぬ車が止まり
そこから出て来た男が
ハーバルに向かって歩いて来るのだった。
posted by 白黒ぼたん at 23:58
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2023年06月14日
夕方のハーバル・2
ハーバルの店舗の大きな窓ガラスには薄いレースのカーテンが掛かっている。
お陰で、中から外はまあまあ見えるのだが、外から中はあまり様子が判らない。
三浦はレジの後ろに身を潜め、内緒、内緒という風に指を一本、口の前に当てる。
その男たちには見覚えがあった。
以前もやって来たキツネ目と、派手な上着の二人連れ。
二人は辺りをキョロキョロと伺いながら、ハーバルの店舗へと入って来た。
「…いらっしゃいませ…」
一応、イツキは挨拶をする。
キツネ目の男は、軽く頭を下げ、店の中をぐるりと見渡す。
派手な上着の方は分かりやすくドアをバタンと閉め、棚に並んでいる商品をベタベタと触る。
イツキは、ふうと、一つ息をつく。
三浦を匿う義理は無いが、こうなっては仕方がない。
「……何か、ご入り用でしょうか?」
「……来てない?……三浦?」
「…いらっしゃいませんよ」
「…そ?」
キツネ目はゆっくりと店内を一回りし、隅のテーブルの上に置かれていた競馬新聞を見つける。
親指と人差し指で摘み上げると、イツキを見遣り、するどく睨め付ける。
「おにーさん、若いのに。競馬なんてやるの?」
「……ええ、まあ…」
「三浦と一緒に?」
「…テメー、何か隠してるんじゃねーのか?ああん?」
眼光も鋭く、明らかにそちらの筋と見える男に詰め寄られ
一歩後ろでは、派手な上着のガラの悪い男に大声を出され
大概の者なら怯え萎縮し、有る事無い事喋ってしまいそうになるのだが
イツキは、少し黙った後に
ニコリと、笑う。
posted by 白黒ぼたん at 23:00
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2023年06月18日
夕方のハーバル・3
イツキの笑顔に、男達は少し調子が狂う。
自分達の厳つい風貌や態度は、相手を威嚇し怯えさせる為のものだが
この、細身でなよなよとした生っチロい若造には、どうやら通じていないらしい。
レジカウンターの内側に、入って来た時と変わらぬ様子できちんと立ち
普通に接客でもするように、静かに微笑む。
カウンターの内側を覗き込もうと身を乗り出す男に
「……あ、さすがにこちらは…貴重品もありますので、駄目ですよ。
無闇に堅気に手を出しては、後々、面倒なことになるのでしょ?」
などと、言う。
「……おにーさん、なんだか、手慣れてるね」
「……客商売ですから……」
「…ふぅん?」
イツキとキツネ目は少し黙り、互いの出方を見る。
キツネ目の鼻先にふわりと甘ったるい匂いが掠るのは、こんな店だから仕方がない。
…それにしても、睫毛が長ぇな、と男は思う。
「……どうして、三浦さんを探しているんですか?」
「んー? ちょっと話があるんだよね」
「何か、嫌な話?……三浦さんは話をしたくなくて、逃げているんですよね」
「…ハハ。ただのビジネスの話。土地をね、売って欲しくてね」
男は軽く笑って、何かを取り出そうとジャケットの胸ポケットに手をやる。
さすがに一瞬、イツキもドキリとするのだが、男が手にしていたのは名刺だった。
「おにーさん、面白いね。コレね、俺の連絡先。
今度、三浦を見掛けたら教えてよ。悪いようにはしないから」
そうして今回も何事もなく、男達はハーバルを出て行った。
三浦のカフェの前に停めていた車に乗り、その車が走り去ってしばらくして
やっとイツキは、ふうと一つ、溜息をついた。
posted by 白黒ぼたん at 22:37
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2023年06月22日
夕方のハーバル・4
「…あいつ、絶対何か知っている風ですぜ?
ちょっと脅せば、聞き出せるんじゃねぇですか…」
派手な上着のガラの悪い男は帰りの車を運転しながら、キツネ目の男にそう言う。
キツネ目は「……まあな」と答え、少し可笑しそうに鼻息を鳴らす。
店の責任者にしては若過ぎる。妙に気に掛かるのは物怖じしない態度のせいか。
化粧品屋だか何か知らんが、顔も髪も洗い過ぎだろう。こざっぱりしていて匂いが、いい。
生意気にも俺を睨み返して来た。視線が、妙に、纏わりつく。
確かにもう少し喋らせて、あの唇が動くところを見れば良かったと思う。
「…カタギに手を出すな、だとよ。…そんな事を言うカタギはいねぇだろうよ。
お前、あの店とあの店長の事、ちょっと探っておけ……」
キツネ目は、派手な上着にそう言うのだった。
ハーバルではレジカウンターの後ろから三浦がゴソゴソと顔を覗かせる。
「……あいつら、帰った?」
「ええ」
「…いや、イツキてんちょ、肝据わってるねぇ。俺、ビックリ……」
「三浦さん」
イツキはレジの前のスツールに腰を下ろす。
この位置に座られると、奥の小部屋にいる三浦は表に出る事が出来なくなってしまう。
三浦は半分開けた仕切りのカーテンから身を乗り出し、適当な愛想笑いを浮かべる。
「土地絡みのトラブルですか?地上げ屋的な?…そんな土地、持ってたんですか?」
「……んー、どうかな…」
この後に及んで話をはぐらかす三浦に
イツキは今日イチの鋭い視線で三浦を、睨んだ。
posted by 白黒ぼたん at 23:47
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2023年06月25日
夕方のハーバル・5
「…三浦さんがあの人達から逃げ回ってるのは…別に良いんですけど
正直、こちらにも迷惑が掛かってるので……
いい加減、事情を話して頂けませんか?
場合によっては、何か力になれるかも知れませんよ?」
「…おお。…今日のイツキてんちょ、格好良いね」
「…三浦さん……」
未だ、ニヤニヤと笑う三浦に、イツキは呆れたように溜息を付き
…おもむろに、先ほどキツネ目の男に手渡された名刺を、眺める。
「…『二条虎松』…すごい名前……」
ヤクザだと判り易く書かれている訳ではないが、妙に強張った字体、上質な紙。
ご丁寧に代紋まで入っていればおのずと、それと判る。
「……イツキてんちょ。それ、奴の名刺?」
三浦の問いにイツキは「…そ」と短く答え、すぐに電話を手に取る。
名刺を見ながら書かれた番号を押していく。
三浦は何事かと慌てる。あの男に連絡を取られてはどう考えてもマズいだろう。
「わ、わ、わ、イツキてんちょ。駄目だって…!」
「連絡してくれって言われたんです。ウチの店も、怖い人ばっかり来たら困るんで…」
「待った、待った、……話すから!」
イツキのパフォーマンスに、ようやく三浦も観念したようだった。
「別に、…大した話じゃないんだよ。…2年前、親が死んで…、まあ土地が残って…」
posted by 白黒ぼたん at 21:31
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