2025年05月06日

焼肉・5








「…あ、空いたお皿…お下げしますね……」
「コレも。大丈夫です。あ、ネギだけ貰っておきます…」

テーブルの上の皿をカチャカチャと引く店員を黒川は忌々し気に睨む。
話の腰を折りたくて折っているわけではない。仕事なのだ、仕方がない。

イツキは別段気にする様子もない。
少しだけ残っていたビールを飲み干し、そのジョッキも店員に下げてもらい
新しく来た日本酒を、3つのお猪口に注ぐ。


黒川からの返答は、最初から、期待もしていないのか。



なので、黒川が口を開いた時にはいささか、イツキも一ノ宮も驚いてしまった。




「…仕事なんぞ、幾らでもある。電話番だって、荷物持ちだって、何でもいいだろう。
カタギの仕事がしたいのならそれも構わんが……俺からは離れるな」


そう言って、日本酒をくっと煽ってふと見ると、イツキと一ノ宮が目を見開いて黒川を見ていた。
黒川は何か、下手な事を口走ったようだ。


「…離れていると、トラブルの時に対処できないからな。お前はすぐ、問題を起こす…」



そして、取って付けたようにそんな事を言うのだった。





イツキ自身、別に、黒川の元を離れたいわけではないのだ。
けれど今は何もかもが中途半端な気がして、どうにも、満たされた気がしないのだ。

一度、限界の向こう側を知ってしまうと…大抵のことでは満足しないらしい。

それは、あまりに特殊な事情のあったイツキの、どうにも出来ない病のようだった。





「……俺、どうしたらいいのかな……」

小さく呟いて、イツキも日本酒を飲む。
黒川は「……知らん!」と言い、一ノ宮は

「イツキくんは、どうしたいのですか?」と聞いた。






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2025年05月08日

焼肉・6








「……俺は…、ハーバルにいたい。…やっぱり、仕事、してたい。
あそこにいると俺、やっとちゃんと、普通の人になれた気がする……

でも……

普通過ぎてたまに、もやもやする。
たまに、すごい……えっちがしたくなる……」



そう言ってイツキは手元の酒を一気に飲み干す。
…もしかしてイツキは結構酔いが回っているのではないかと、一ノ宮はイツキを見返すが

そうやって本音を話すイツキを黒川がどう収めるのかが、少し、面白くて

イツキの空いたお猪口に、日本酒を並々と注ぐ。
あろうことかイツキは、その酒すら、飲み干してしまう。


イツキはイツキで、そうやって酒の力を借りてでも
思っていることを全て吐き出したいのかも知れない。




「……阿呆か、お前は。ヤられている時は嫌だの何の大騒ぎで
それが無くなったら、今度は、物足りないだの、何のと。……面倒臭いな」

「だって、マサヤのせいでしょ?……俺をそういう身体にしたの」

「お前が、勝手に、エロいだけだろう。ああ、それであちこち遊んでいるのか。
……知っているぞ、お前が西崎の息子と会っているのも、他の男と遊んでいるのも」




そう黒川に返されて、イツキは、解りやすく口を突き出しムッとする。
確かにその通りなのだけど、そうなったイキサツを、少し考えてみて欲しい。




一ノ宮はハラハラしながら2人のやりとりを見守り
追加で、上ホルモンと骨付きカルビ、日本酒3合を注文するのだった。







posted by 白黒ぼたん at 23:06 | TrackBack(0) | 日記

2025年05月14日

焼肉・7








「…遊んでないよ。…ご飯食べに行ったぐらいだよ」
「ふん。何を食ったんだか…。喰われたの間違いだろう」。


イツキが、どこで誰と何をしているか、詳細までは解っていない。
清水は、こちらに戻って来ているというのを西崎から聞いていた程度だし
男と遊び云々は、イツキの帰宅時間や雰囲気や……スマホの位置情報や
そんな所からの憶測で、まあ、鎌を掛けてみれば当たってしまったようだ。


別に、それらを咎めるつもりもないのだけど。
痴話喧嘩の際には格好の材料になってしまう。


イツキと黒川のお猪口に、一ノ宮は勝手に酒を継ぎ足し
もうすぐラストオーダーですと心配そうに伺う店員を…、心配しているのはソコではないと思うのだが
大丈夫ですよと、手を払う。

すでに店内は閑散としていて、周りに人が居ないのが有難い。



「…マサヤだって…、勝手に色々、してるじゃん。
今度の週末の旅行だって、そうでしょ? 俺、知ってる…」



こちらも。詳しい内容をイツキが知るはずは無かったが
おそらく過剰な接待があるのだろうと、以前の自分の経験を踏まえ、言ってみる。

黒川は、……内容をイツキが知っているのか?と、思わず一ノ宮を見てしまい

それでこの件も、確定してしまう。

けれどそれだって、別に、咎めるつもりはないのだ。



「……だから何だと言うんだ、仕事の話だろう。…そんな事でいちいち…」

「何でもないよ。解ってるよ、何でもない事だって。
そんな話がしたいわけじゃないよ。ただ…

ちょっと、困ってるだけだよ……」







posted by 白黒ぼたん at 15:01 | TrackBack(0) | 日記

2025年05月22日

焼肉・8







締めのデザートにと運ばれた杏仁豆腐の皿を持ち
2、3度スプーンに掬っては口に運ぶ。
真面目な話をしている最中なのに、甘いものに、ついニコリと笑ってしまう。
イツキのこんな表情が見ていて飽きない所なのだなと、一ノ宮は思う。


「…困ってるんだよ。俺だって。
マサヤが、……昔に比べればビックリするほど優しいのは解ってるんだけど…それで十分、良いのも解ってるんだけど……、たまにすごく、不安になる。
昔みたいに酷い事ばっかりなら、考える時間も無かったけど、今は、あって……それが、困る」



漠然としたイツキの不安。
黒川との関係や、自分の未来や、欲求不満や、そんなものがすべてごちゃ混ぜになっているようだ。

俯き、まつ毛の影が頬に落ちる。
もっともその寂し気な顔は、杏仁豆腐の皿がカラになってしまったせいかも知れないが。



「…馬鹿か、お前は。要するに暇なだけだろう」
「……そうだよ。…だから、俺に何が出来るのかなって…考えてるんだよ…」
「石鹸屋でも電話番でも、何でも好きにすればいいだろう」

「…ああ、そろそろ…閉店時間のようですね……」




堂々巡りの会話に、若干黒川が声を荒げ
それを遮るように、一ノ宮が声を掛ける。


それでも



黒川はふうと一つ息を吐く。
そして、自分のデザートの皿をイツキの目の前に置いてやる。




「……良いんじゃないのか…、ヒマな時間でゆっくり考えろよ。焦る事はない。
適当に遊ぶのもいい。いくらヤっても、妊娠もしないからな、ハハ、……ああ、いや

適当な相手は駄目だ。俺の知っている相手にしろ。危険が無いとも言えんだろう…

一応、これでも心配はしているんだぞ。……お前は、馬鹿だからな……」




良い事を言ったのか、悪い事を言ったのか、良く解らない事を黒川は言い
とうに空になっていた酒のグラスを煽って、少し、照れ臭そうな顔をした。





posted by 白黒ぼたん at 00:18 | TrackBack(0) | 日記

2025年05月28日

焼肉・9








会計に立ったのは一ノ宮だった。
黒川は喫煙ルームで一服していた。
イツキはトイレを済ませ、レジの前にいる一ノ宮の隣に並ぶ。


「……珍しいですね」
「…え?」
「社長が、あんな事を言うのも……」


お釣りと領収書を受け取りながら、一ノ宮が言う。それは半分、自分自身に語りかけるような口調だった。


「本当に、あなたの事を想っている。…変わりましたね…」
「…それは、…良い事?」
「勿論ですよ」

イツキの手に、貰った飴玉を乗せて、一ノ宮はそう言って笑う。



「あなたも社長も、色々あり過ぎましたからね。……わだかまりが何も無い、訳には行かないでしょう。
ましてや、イツキくんはまだ若い。心と身体が擦り合わないこともあるでしょう」
「…うん」
「…はは。まあ、その辺りのことも含めて…、また話をしましょう」
「…その話、マサヤがいない時の方がいいな…」



丁度その間合いで、黒川が奥から出てくる。
何やら神妙な面持ちの2人に、違和感を覚える。

「……なんだ。俺の悪口でも言っていたのか?」


そう言う黒川に一ノ宮は笑って、「まあ、そんな所です」と返して

「では、私はここで失礼します」


と、頭を下げ、イツキには軽く手を振り、先に店を出て行くのだった。





posted by 白黒ぼたん at 00:04 | TrackBack(0) | 日記