2020年10月02日
記録・3
「……佐野っち…」
「いや、違う違う違う違う」
佐野と連れ立って何となく歩いて来たイツキだったが
気づけばそこは『ホテル紫苑』の目の前だった。
紫苑は西崎が管理するラブホテルの一つで、当然黒川の管轄内で…良くも悪くも融通が利く。
どう見ても出入りする歳ではないイツキが利用していても、何のお咎めも無い場所なのだ。
ここで『仕事』をした後どうにも動ける状態にならなくて…
…佐野に迎えに来てもらい、そのまま……など、よくある事だった。
その、場所に、来たということは
当然、それを考えている。……と、思うのが筋。
イツキは怪訝な表情を佐野を見上げる。
佐野は大慌てで手を横に振る。
「違う違う。たまたまだって! ホレ、俺、用事があるって言っただろ?」
佐野は持っていた紙袋をイツキに見せ、支配人にコレを渡すだけだからと言った。
外で待っていても良かったし、帰ってしまっても良かったし
一緒に付いていく義理もなのだが、そこは、なんとなく…、中に入る。
実を言えばイツキがここに来るのは数年ぶりで、内装やフロントの様子が少し変わったのを覗いてみたかったのだ。
足元を取られるような毛足の長い絨毯。薄暗い空間に、ところどころスポットライトが観葉植物を照らす。
今は受付は全てタッチパネルで、部屋まで、誰とも会わずに行けるらしいが
昔は対面の小窓があって、部屋番号を告げると、シワくちゃの老婆の手だけが見え、鍵を差し出してくれた。
『…あんた、駄目だよ?……こんな事ばっかりしてちゃ……』
ふいにイツキの耳元に、あの時の老婆の声が蘇る。
感傷に浸るほど切なく美しい思い出ではないけれど、確かに、イツキの中にあり続けるものだった。
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